SSブログ

太田要害城(千葉県佐倉市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_0229.JPG←横矢掛かりの空堀と主郭土塁
 太田要害城は、用替ヶ丘砦とも呼ばれ、歴史不詳の城である。日本城郭大系では、室町時代に千葉氏の内紛の中で登場する寺崎城が、この城のことではないかとの推測を紹介している。即ち、享徳の大乱の余波によって千葉氏内部に深刻な内訌が生じ、1455年、庶流の馬加康胤は宗家の千葉胤直・宣胤父子を攻め滅ぼし、宗家を乗っ取った。しかし宗家の居城千葉城が炎上した為、康胤は寺崎城に入ったとの説がある。しかし康胤が拠ったのがこの太田要害城ではないかとの説は、遺構の規模から見る限り、やや疑問に思われる。

 太田要害城は、鹿島川東の比高30m程の台地辺縁部に築かれた城である。ここには「用替(要害の転訛)」の地名が残っている。不整形な三角形状の主郭を持ち、周囲に空堀と腰曲輪を廻らしただけの、ほぼ単郭の簡素な城砦である。空堀は、主郭の南側から東に回りこんで北側までの約半周を分断しており、この空堀に沿って主郭には土塁が築かれている。土塁北端部は東側に張り出した櫓台となっており、堀底に対して横矢を掛けている。また主郭西端部にも櫓台が築かれている。主郭の北側は二重堀切となっているが、実態としては一重の堀切の外側に、更に1本の片竪堀を落したような構造で、完全な二重堀切にはなっていない。空堀を挟んで主郭の東側は、平地が広がっているだけで、外郭だったとは思われるものの堀などの明確な遺構は見られない。外郭は畑になっている部分もあるので、改変を受けている可能性もあるだろう。いずれにしても、小規模な城砦である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.698297/140.211394/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:中世崖端城
nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 4

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント