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大関城(千葉県東金市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_2565.JPG←堀状の溝地形
 大関城は、『上総国誌』によれば、1204年に安房国から上総国に移って来た畠山重忠の支族によって築かれたとされる。重康の代に大関城を築いて武威を伸ばし、東金酒井氏と争ったが、1526年12月、酒井隆敏に攻められて大関城は落城した。重康は上谷常福寺に逃れたが、自決して畠山氏は滅亡したと言われる。

 大関城は、依古島を中心とする低地帯に半島状に突き出た低台地上に築かれている。周囲を低湿地帯に囲まれた水城だったとされ、大関神社の地が本丸で、二ノ丸はその北にあったとされる。また、大手門は南方と推定されているらしい。国土地理院の『地図・空中写真閲覧サービス』の昭和20年代の航空写真を見ると、水田と化した低地帯に突き出た台地地形が如実にわかるが、現在は開墾などによって改変を受け、更に東金九十九里有料道路が城内を貫通している為、城の痕跡がかなり失われている。その為、堀跡や物見台も残ると東金市のHPに記載されているが、よくわからなくなってしまっている。わずかに果樹園の中に溝状の地形があり、これが堀跡であろうか?大関神社境内の裏にも堀っぽい地形があるが、かなり埋もれていてよくわからない。ほとんど湮滅してしまった様である。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.524541/140.384386/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:中世水城
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