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東和泉城(千葉県成田市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_4666.JPG←笹曲輪に架かる土橋
 東和泉城は、千葉氏の庶流大須賀氏一族の城である。大須賀氏は、千葉常胤の4男大須賀四郎胤信を祖とし、松子城を本拠に、助崎城など東総地域に多くの支城を有していた。この城に関する戦国期の伝承は、『東国闘戦見聞私記』と言う、およそ信ずるに足らない荒唐無稽な軍記物に記載されているだけなので、ここでは敢えて記載しない。

 東和泉城は、荒海川西岸に半島状に付き出した比高20m程の丘陵上に築かれている。大きく4つの曲輪を直線的に配置した連郭式の城で、現地解説板では先端から順にⅠ郭・Ⅱ郭・Ⅲ郭・Ⅳ郭としているが、どれが主郭であったかは論議のあるところで、ここでは先端から笹曲輪・主郭・ニノ郭・三ノ郭としておく。各曲輪は中規模の堀切で分断されており、笹曲輪~主郭間と主郭~ニノ郭間には土橋が架かっている。特に笹曲輪~主郭間では、珍しいことに堀切の両端にそれぞれ土橋があり、2本の土橋で連結されている。また主郭~ニノ郭間の土橋に対しては、どちらの曲輪にも隅櫓台が築かれ、虎口への防御を固めている。この3つの曲輪の中では、中央の主郭にのみ、両端に土塁や櫓台が築かれて防御が固められている。笹曲輪と主郭は山林となっているが、ニノ郭は畑となり、隅に星神社が鎮座している。ニノ郭と三ノ郭の間は広幅の堀切となり、山麓からここまで登道が整備されている。この広幅の堀底は曲輪としても機能したと見られ、両側の腰曲輪にそのまま繋がっていたものと思われる。三ノ郭は畑となっているが、一部が薮に覆われている。この他、先端の笹曲輪からニノ郭に至るまでの西側には腰曲輪が築かれている。以上の様に、東和泉城は簡素な縄張りであるが、遺構は良く残っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.823330/140.346834/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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とおりすがり

いつも、参考にさせていただいてます。ここは東和泉城跡ではないですか?
by とおりすがり (2015-12-31 18:27) 

アテンザ23Z

>とおりすがりさん
ご指摘ありがとうございます。千葉の城巡りで参考にしていた『千葉県文化財センター 研究紀要20』に、「東和田城」とある城と混同していました。当方の思い違いであることが確認できましたので、訂正させて頂きます。今後も何かお気づきの点があれば、コメお願いします。
by アテンザ23Z (2016-01-01 00:13) 

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