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中島城(千葉県銚子市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_5332.JPG←台地上の水堀
 中島城は、下総の名族千葉氏の一族海上氏の本城と考えられている。千葉介常兼の5男常衡が海上氏を称し、建久年間(1190~99年)に中島城を築いたと言われている。海上氏はその後一旦廃絶となったが、後に千葉介常胤の6男東胤頼がこの地を継承し、その孫胤方が海上氏を称し、東氏流海上氏が成立した。以後、千葉宗家の重臣として勢威を振るい、室町時代の関東各地の戦乱で活躍した。戦国時代には千葉宗家と共に小田原北条氏に属したと思われ、1590年の小田原の役の際に中島城は落城して、海上氏も滅亡した。

 中島城は、利根川南岸の氾濫原に面した比高30m程の平坦な台地上に築かれた城である。台地上は一面の畑となっているため遺構の湮滅が進んでいるものの、辺縁部の土塁や堀跡の畑が見られ、往時の城の縄張りを概ね想像することができる。台地の南東端に主郭を置き、主郭に小さな城址碑があり、主郭周囲には空堀が一段低い畑となって残っている。主郭の東先端は、藪の中に堀切を挟んで物見郭が配置され、その外周には何と大きな水堀が築かれている。台地上なのに水堀があるとは驚きで、おそらく湧き水があるのだろうが、非常に神秘的な雰囲気が漂っている。この他、三ノ郭の南東角にも横堀があり、三ノ郭南西角には腰曲輪群と堀底道を兼ねた空堀が穿たれている。中島城は、台地上の遺構はわずかであるが、藪の中を探索すると、外周部に良好な遺構が眠っている。
主郭外周の堀跡→IMG_5321.JPG
IMG_5314.JPG←三ノ郭南東角の横堀
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.750286/140.764797/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:中世平山城
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