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香取要害城(千葉県香取市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_5817.JPG←主郭
 香取要害城は、歴史不詳の城である。香取神宮の境内の一角、参道北側の段丘上に位置しており、一方、永禄年間(1558~69年)に安房里見氏の部将正木氏が東総に侵攻し、一帯を席巻したとされるが、香取大禰宜家文書にその当時の緊迫した状況が記載されていることから、正木勢に備えて神社側が築いた防衛陣地であった可能性が指摘されている。

 香取要害城は、前述の通り香取神宮境内の段丘上に築かれた城砦である。現在、護国神社が建てられているのが主郭で、周囲には腰曲輪や堀、土塁などが見られ、形は城郭そのものである。神社の境内に築かれた城郭というのも珍しいが、南北朝動乱の頃には寺院を城塞化した寺院城郭があちこちに築かれたので、神社勢力が出城を築くということも無い訳ではないだろう。この他にも砦らしい地形が参道の東側にも見られたが、境内なので勝手に登るわけにも行かず未踏査なので、ここではその可能性を指摘するだけに留めておく。

 尚、正木氏の東総侵攻についてであるが、1560年の上杉謙信の越山に呼応したものか、1564年の第二次国府台合戦の前哨戦として行われたものと推測されるが、それ以外にも連年侵攻した様な記事が見受けられるが、これは個人的には少々疑問に思っている。小田原北条氏と里見氏の攻防はその時々で一進一退があり、三船山合戦などで北条氏が劣勢に置かれても、千葉氏一族の勢力が取り敢えずも健在で、しかも上総にも万喜土岐氏が北条方として割拠し、里見氏の家臣であった勝浦正木氏さえも第二次国府台合戦後に北条方に付いてしまったことなどから考えれば、1564年以降に里見勢が東総の奥深くまで安々と侵攻したとは考えにくいのではないだろうか。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.884411/140.527893/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:中世崖端城
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