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下小野城(千葉県香取市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_5922.JPG←西側の長い横堀
 下小野城は、歴史不詳の城である。唯一、『山室譜伝記』に「香取近在小野落城、山倉播磨守等五百人討死」とあることから、山倉播磨守という武士が城主であったと推測されている。

 下小野城は、水田地帯に半島状に張り出した比高35m程の城である。城への登り道がわからなかったので、先端近くの東麓から適当に当たりをつけて直登した。物凄い藪城で、遺構の確認はかなりの困難を伴う。比較的小規模な曲輪群で構成されているが、かなり技巧的な縄張りの城で、段差で区画された3つの曲輪を台地北端に置き、南の台地基部の尾根に沿って曲輪を連ねている。北端の3つの曲輪は、東から順に主郭・ニノ郭・三ノ郭とされている。周囲には腰曲輪が取り巻き、一部は横堀状となっており、先端部には段曲輪が築かれている。三ノ郭は背後に堀切が穿たれて台地基部の曲輪群と分断し、そのまま東側で横堀に変化している。台地基部の曲輪群も、Ⅳ郭~Ⅵ郭の3つの曲輪が連なっている様だが、郭内は藪がひどく、全く形状が確認できない。この曲輪群の西側には長い横堀が穿たれ、途中で数ヶ所横矢のクランクが掛かり、横堀外側の帯曲輪の要所は櫓台となって防御を固めている。Ⅵ郭の南端は二重堀切が穿たれ、特に外側の堀切は西側に長く竪堀となって落ちており、側方に竪土塁を伴っている。ここからやや南に離れたところにも横堀が穿たれて城域が終わっている。下小野城は、往時の集落と隣接して築かれていることから、一説には村の城とも言われるが、実戦的な技巧的縄張りであり、正規の軍事集団の拠った城と思われる。但し曲輪や横堀などの各パーツは小さい上、藪がひどくて城域の半分は踏査不能である。せっかくの良質な遺構なので、史跡に指定して整備の手を入れて欲しいものである。
Ⅵ郭南の堀切から落ちる竪堀→IMG_5947.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆(薮の分、星一つ減点)
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.860612/140.534472/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:中世崖端城
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イラブ

こんにちは、楽しませて頂いています。
ここ自分も行きました!(苦笑)
「房総の城郭」の縄張り図を見て「オー!クランク横堀 凄そうだな~」と期待大だったのですが・・・歯が立たない!難攻不落ぶりでしたね、藪地獄トップ 3 です。
ここの縄張り図って・・・凄い方がいるものだと思いました。
by イラブ (2014-09-12 18:08) 

アテンザ23Z

>イラブさん
全くその通りですね。多分、縄張図を書いた三島さんは、鎌持って薮を切り開きながら踏査したんじゃないでしょうか?(笑)
そのくらいの装備と覚悟じゃないと、ここの全域調査は無理ですね!
by アテンザ23Z (2014-09-12 20:19) 

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