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笑路城(京都府亀岡市) [古城めぐり(京都)]

IMG_6463.JPG←主郭の石垣と井戸跡
 笑路城は、明智光秀に属した長沢氏の居城である。天文・弘治年間(1532~58年)頃には城主として長沢氏の名が見え、1577~79年頃、時の城主長沢家綱は丹波攻略中の明智光秀に法貴坂戻り岩で対面し、法貴山城主酒井孫左衛門がこれを取り成しで所領安堵され、以後光秀の幕下となった。1582年の本能寺の変にも光秀に従って軍功を挙げ、中国大返しで急進してきた羽柴秀吉と戦った山崎の合戦で討死したと言う。

 笑路城は、法貴山城の南南西1.9kmの位置にある、標高414mの山上に築かれている。東西に並んだ主郭・ニノ郭を中心に、南側に腰曲輪を廻らし、西に馬掛郭、北西に乾郭、更に西に西出曲輪と配置され、ニノ郭背後は大堀切で分断し、その上に櫓台が築かれた縄張りとなっている。城内には塁線や虎口付近に石垣の残欠が多数残っており、多分主郭は総石垣であった様である。主郭切岸の下には井戸跡が残っている。また、主郭・ニノ郭に全部で3ヶ所見られる内枡形の虎口も、石垣造りであったらしい。主郭には天守台とされる小さな櫓台があり、その付近にも石垣の石が多数散乱している。主郭の西半分には鉄塔が建っており、その際に一部石垣は破壊されていると思われるが、概ね残っているようで、この櫓台から曲輪内の仕切り土塁が残っている他、主郭北側に石列も確認できる。一方、馬掛郭から西出曲輪へは途中2本の小堀切が穿たれている。笑路城はあまり大きな城ではなく、縄張りも比較的素朴であるが、石垣が随所に散見され、小規模ながら天守台も見られることから、近世城郭への過渡期の城の形態を残している。
天守台の石垣残欠→IMG_6502.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.969994/135.520426/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:中世山城
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