園部城(京都府南丹市) [古城めぐり(京都)]
←高校入口に現存する櫓門
園部城は、1619年に但馬出石城よりこの地に移封となった小出吉親が新たに築いた近世城郭である。一説には、この地には荒木山城守氏綱の拠った中世園部城があったと言われ、1578年に丹波に侵攻した明智光秀が攻め落としたとされる。その後は小出氏による近世園部城の築城まで、明確な歴史は残されていない。近世園部城は城主が小出氏のまま幕末まで存続し、1868年に明治新政府から築城の許可を得て、櫓門・巽櫓の他、小麦山山頂に三重櫓が築かれた。しかし、1872年には破却された。
園部城は、園部町の中心部にあった平城で、現在の園部高校敷地がかつての本丸跡に当たる。現在は市街化が進み、遺構はかなり失われているが、高校の片隅に櫓門と巽櫓が立派な姿を留めている。一方、北にやや離れた裁判所の入口に門跡の石垣と土塁が残っている。小麦山は公園化されており、山頂はただの平場で慰霊碑などが建つ他は遺構は残っていない。この他、八木町の安楽寺に、太鼓櫓が移築されて残っている。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.105039/135.469686/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
園部城は、1619年に但馬出石城よりこの地に移封となった小出吉親が新たに築いた近世城郭である。一説には、この地には荒木山城守氏綱の拠った中世園部城があったと言われ、1578年に丹波に侵攻した明智光秀が攻め落としたとされる。その後は小出氏による近世園部城の築城まで、明確な歴史は残されていない。近世園部城は城主が小出氏のまま幕末まで存続し、1868年に明治新政府から築城の許可を得て、櫓門・巽櫓の他、小麦山山頂に三重櫓が築かれた。しかし、1872年には破却された。
園部城は、園部町の中心部にあった平城で、現在の園部高校敷地がかつての本丸跡に当たる。現在は市街化が進み、遺構はかなり失われているが、高校の片隅に櫓門と巽櫓が立派な姿を留めている。一方、北にやや離れた裁判所の入口に門跡の石垣と土塁が残っている。小麦山は公園化されており、山頂はただの平場で慰霊碑などが建つ他は遺構は残っていない。この他、八木町の安楽寺に、太鼓櫓が移築されて残っている。
裁判所に残る石垣・土塁→
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.105039/135.469686/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:近世平城
二つ星ですか、厳しいっスね。それがし天皇行幸の準備してた、という時点で4つ星くらいでした。甘々でごめんなさい。
by ノリパ (2014-09-25 22:58)
>ノリパさん
いえ、評価はそれぞれですので。
私の場合は、純粋に遺構の残り具合と縄張りの巧みさで評価しているので、残存状況の悪い近世城郭では評価が低くなりがちです。
by アテンザ23Z (2014-09-26 21:28)