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飯野陣屋(千葉県富津市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_9200.JPG←大手の横矢掛かり
 飯野陣屋は、長州徳山・越前敦賀と並び、日本3大陣屋に数えられる広大な陣屋である。1648年、信州高遠城主保科正直の3男、保科弾正忠正貞によって築造された。正貞は、早くから徳川家康に仕え、大坂夏の陣で大いに活躍した。飯野藩は、禄高2万石であったが「城主」の格式を許されず、陣屋を構えた。またその所領は、飯野周辺は3千石に過ぎず、大部分は関西地方にあったと言う。飯野保科家は、会津藩の分家筋に当たる為、幕末に会津藩が相模・房総沿岸の警備を命ぜられた時、飯野藩が名代となって房総沿岸警備を命ぜられた。又、飯野藩主は、大坂定番、加番や江戸城門番等を勤めることが多く、陣屋には代官が置かれた。明治の廃藩置県までの223年間、飯野藩主の居所として存続した。

 飯野陣屋は、日本3大陣屋と言われるだけあって広大な規模の陣屋で、本丸・ニノ丸・三ノ丸を備え、大手には「左袖」に当たる横矢張出しまで築かれ、陣屋とは名ばかりでほとんど平城の構造となっている。全周に水堀が残り、南中央部に折歪みを有している。これは南に隣接する亀塚古墳を避けて堀を築いた為らしい。この他、本丸の大手虎口には桝形土塁の一部が残存している。また陣屋内西部に三条塚古墳という大きな前方後円墳があり、古墳の周濠を水堀に利用しただけでなく、物見台として活用したと思われる。陣屋内は宅地などに変貌しているものの、外周の土塁と水堀は完存しており、近世陣屋の遺構としてはほとんど奇跡に近い残存度である。
本丸の大手枡形土塁→IMG_9244.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.320879/139.863626/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:陣屋
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