美尾屋十郎廣徳館(埼玉県川島町) [古城めぐり(埼玉)]
←境内に残る内堀跡
美尾屋十郎廣徳館は、源頼朝に従って武功を挙げた美尾屋十郎廣徳の居館である。廣徳の事績については不明点が多いが、『平家物語』等にその名が見える。廣徳の死後、頼朝の妻二位ノ尼(北条政子)がその冥福を祈って、館跡に大御堂などを造営して広徳寺を建立したと伝えられており、政子が直接関わったことから考えると、相当頼朝の近くで活躍した武士であったと推測される。
美尾屋十郎廣徳館は、現在は広徳寺となっている。外周の堀跡の一部が水路となって残る他、国重文の大御堂の東側に内堀跡が残っている。尚、大御堂の背後の塚は廣徳の墳墓と伝えられ、板碑が建っている。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.980062/139.504816/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
美尾屋十郎廣徳館は、源頼朝に従って武功を挙げた美尾屋十郎廣徳の居館である。廣徳の事績については不明点が多いが、『平家物語』等にその名が見える。廣徳の死後、頼朝の妻二位ノ尼(北条政子)がその冥福を祈って、館跡に大御堂などを造営して広徳寺を建立したと伝えられており、政子が直接関わったことから考えると、相当頼朝の近くで活躍した武士であったと推測される。
美尾屋十郎廣徳館は、現在は広徳寺となっている。外周の堀跡の一部が水路となって残る他、国重文の大御堂の東側に内堀跡が残っている。尚、大御堂の背後の塚は廣徳の墳墓と伝えられ、板碑が建っている。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.980062/139.504816/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:居館
コメント 0