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前ノ在家楯(山形県米沢市) [古城めぐり(山形)]

IMG_1552.JPG←西出曲輪群の横堀と物見台
 前ノ在家楯は、歴史不詳の城である。伝承では、北麓に居館があったとされる卯の花対馬や、和地和泉守などを楯主とする説もある様だが、信憑性に乏しいとされる。いずれにしても城の形態から考えれば、伊達氏関連の城であろう。前ノ在家楯の峰続きの南方450mに中ノ在家楯があるが、前ノ在家楯との関連は不明である。

 前ノ在家楯は、標高420m、比高75mの峰に築かれた山城である。城域は広く、中央峰の主城部、西出曲輪群、東にやや離れた東出曲輪群の3つのブロックに分かれている。前ノ在家楯へは、中ノ在家楯から尾根を縦走して行くのがわかりやすい。440.8mの三角点を越えて暫く行くと小堀切があり、更に尾根を少々歩くと、いきなり目の前に中規模の三重堀切が現れ、ここから本格的な城域に入る。この三重堀切は、深さ4m程であるが一番内側のものだけ浅く、2.5重という印象の堀切である。主城部は2本の小堀切で3つの曲輪群に分けられ、南から順に三ノ郭群・ニノ郭群・主郭群と連なる。三ノ郭群は櫓台を備えた出丸的な曲輪で、東尾根にも堀切を穿っている。ニノ郭群は細尾根上の曲輪で幅が狭い。主郭群はやや広さがあり、多くの帯曲輪で囲まれている。主郭群と西出曲輪群との間は堀切で分断されているが、この堀切は城内通路を兼ねており、そのまま横堀状の武者走りに繋がっている。特に北側では横堀と堀切の合流点に物見台が築かれており、技巧的な構築となっている。西出曲輪群も3段程の環郭式の曲輪群で、西尾根に2本の堀切、北尾根に二重堀切ともう1本の堀切を穿っている。どちらの堀切群も一番内側のものは城内通路を兼ね、帯曲輪同士の連絡路となっている。西出曲輪群の北の尾根は物見的な曲輪だったと思われるが、北端が採石場となって削られてしまっている。一方、主郭群の東側にも堀切が穿たれているが、これも城内通路を兼ね、更に堀切に沿って小規模な畝状竪堀が穿たれている。伊達氏の城で畝状竪堀の例は少ないので、大した遺構ではないが貴重である。東尾根には前述の堀切ともう1本土橋付きの堀切があり、その先はしばらく尾根が続いた後、小堀切の先に東出曲輪群が築かれている。これも帯曲輪を何段にも築いた曲輪群だが、最上段の曲輪の削平はやや甘く、この辺になると普請がやや不徹底の様である。
 前ノ在家楯は、中ノ在家楯より普請の規模が大きく、畝状竪堀や通路兼用堀切を持つなどより技巧的な縄張りとなっている。
三重堀切→IMG_1470.JPG
IMG_1564.JPG←畝状竪堀
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/37.852033/140.109740/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
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