朴沢楯(山形県川西町) [古城めぐり(山形)]
←横堀と主郭切岸
朴沢楯は、歴史不詳の城である。犬川と北沢川の合流点に向けて突き出した、標高290m、比高わずか40m程の丘陵先端に築かれている。単郭の小規模な城で、外周に横堀・帯曲輪を廻らし、背面には横堀から繋がる浅い掘切を穿ち、掘切北端は竪堀状虎口となって下の帯曲輪に繋がっている。また主郭先端には小規模な枡形虎口があるが、土塁もささやかなもので、形状がかなりわかりにくくなっている。南に1.2kmの位置には豪壮な松ノ木楯があり、その前衛の砦として物見的な役割で築かれたものだろうか?縄張り的には伊達氏の影響下にあったと思われるが、小土豪の築いたささやかな城砦である。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/37.987400/140.001935/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
朴沢楯は、歴史不詳の城である。犬川と北沢川の合流点に向けて突き出した、標高290m、比高わずか40m程の丘陵先端に築かれている。単郭の小規模な城で、外周に横堀・帯曲輪を廻らし、背面には横堀から繋がる浅い掘切を穿ち、掘切北端は竪堀状虎口となって下の帯曲輪に繋がっている。また主郭先端には小規模な枡形虎口があるが、土塁もささやかなもので、形状がかなりわかりにくくなっている。南に1.2kmの位置には豪壮な松ノ木楯があり、その前衛の砦として物見的な役割で築かれたものだろうか?縄張り的には伊達氏の影響下にあったと思われるが、小土豪の築いたささやかな城砦である。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/37.987400/140.001935/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
タグ:中世平山城
コメント 0