夏刈館(山形県高畠町) [古城めぐり(山形)]
←館跡の現況
夏刈館は、伊達氏の「夏館」であったとされる城館である。元々は、1332~1471年まで永井左衛門の居城であったとも言われるが定かではない。戦国後期には、伊達輝宗が夏刈館に隣接する資福寺に頻繁に参詣していたとされ、嫡子梵天丸(後の貞山公政宗)の学問の師として名僧虎哉宗乙を招聘し、資福寺住職としていたことから、夏刈館は重要な城館であったと推測されている。現地解説板では夏刈館を「政宗館」とも表記しており、虎哉和尚に師事していた幼い政宗が、一族の伊達成実や後に名参謀となった片倉小十郎景綱と共に夏刈館で起居していたとも考えられている。
夏刈館は、資福寺館の北東にほぼ隣接する位置にあった。現在は一面の畑に変貌し、遺構は完全に湮滅しているが、昭和初期までは三方を廻る堀が残っていたらしい。館の北側は、和田川によって削られた段差が残っており、往時の館の雰囲気をわずかに残している。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.012250/140.140307/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
夏刈館は、伊達氏の「夏館」であったとされる城館である。元々は、1332~1471年まで永井左衛門の居城であったとも言われるが定かではない。戦国後期には、伊達輝宗が夏刈館に隣接する資福寺に頻繁に参詣していたとされ、嫡子梵天丸(後の貞山公政宗)の学問の師として名僧虎哉宗乙を招聘し、資福寺住職としていたことから、夏刈館は重要な城館であったと推測されている。現地解説板では夏刈館を「政宗館」とも表記しており、虎哉和尚に師事していた幼い政宗が、一族の伊達成実や後に名参謀となった片倉小十郎景綱と共に夏刈館で起居していたとも考えられている。
夏刈館は、資福寺館の北東にほぼ隣接する位置にあった。現在は一面の畑に変貌し、遺構は完全に湮滅しているが、昭和初期までは三方を廻る堀が残っていたらしい。館の北側は、和田川によって削られた段差が残っており、往時の館の雰囲気をわずかに残している。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.012250/140.140307/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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