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根戸城(千葉県我孫子市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_5364.JPG←二ノ郭の空堀への横矢
 根戸城は、歴史不詳の城である。一説には千葉氏の庶流相馬胤村の3男胤光が根戸氏を称していることから根戸城を創築したのではないかとも、或いは、1478年の境根原合戦で千葉孝胤を破った太田道灌が陣城として築いたとも言われるが、確かな事は不明である。城の縄張りからは、北総地域の支配を巡って争った小田原北条方の高城氏(小金城主)や古河公方の重臣簗田氏(関宿城主)、相馬氏(守谷城主)等によって交通の要地を押さえるために築かれたのではないかと推測されている。

 根戸城は、手賀沼の北西に位置する比高10m程の台地先端に築かれた城である。現在城跡はボーイスカウトの演習場となっているが、破壊はほとんど免れている。先端に主郭を置き、その背後にニノ郭を連ね、ニノ郭外周に外郭を置いた縄張りとなている。主郭は全周を土塁で囲んでおり、周囲を空堀で囲み、ニノ郭に通じる虎口には土橋を架け、左袖の横矢掛かりを設けている。二ノ郭は、主郭側以外の3辺をやはり土塁で囲み、周りを空堀で囲み、背面の空堀には両端から横矢を掛けている。この他、主郭の東には空堀を挟んで櫓台が築かれ、櫓台はそのまま外周の土塁と接続している。外郭には土塁と腰曲輪が見られる他、金塚古墳があり、往時は物見台として機能したと思われる。根戸城は、小規模な城であるが、主郭・ニノ郭とも遺構が整備されてよく残り、殊に横矢掛かりの徹底は小田原北条氏の築城技術の影響を感じさせる。

 ところでこの城、主郭の先の櫓台は実はなんと歩道のトンネルの上に建っている。HP「帝國博物学協会」に、「台地下側をくり貫くという方法で、上の史跡を保存したという方法は、非常に素晴らしい決断であったと思う」と記載されているが、全く私も同感である。数々の遺構を破壊してきた千葉県にしては、奇跡的なほど素晴らしい良識が働いたと思う。
主郭虎口と土橋→IMG_5386.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=35.87216,139.994252&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
タグ:中世崖端城
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