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飯高城(千葉県匝瑳市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_7620.JPG←Ⅲ郭の空堀
 飯高城は、戦国時代後期に匝瑳北条庄の領主平山刑部少輔常時の居城であったと伝えられている。平山氏の出自は明確ではないが、一説には小田原北条氏が家臣の武蔵平山氏を飯高に封じたのではないかとも言われている。常時は日蓮宗への信仰が厚く、1580年に城地の全てを寄進して寺院を建立して学問所(檀林)としたと言われている。小田原北条氏の滅亡後、関東に入部した徳川氏の保護を受け、1591年に日蓮宗の宗門根本檀林として公認した。こうして成立した飯高檀林は、特に家康の側室お万の方(養珠院、勝浦城主正木頼忠の娘)の信仰が厚かった関係で、その子徳川頼房が立藩した水戸徳川家の崇敬が篤く、徳川光圀も度々参詣した。

 飯高城は、現在は飯高檀林跡として史跡整備されている。檀林開山時に大幅な削平工事がされた様だが、幸いにも境内には土塁や空堀、腰曲輪など多くの城郭遺構が残っており、その往時の縄張りが朧気に浮かんでくる。比高20m程の台地を城砦化し、5つの曲輪から構成された広めの城である。最北のⅠ郭は飯高寺講堂の北にあり、外周を土塁で囲まれ、三方に腰曲輪が築かれている。西の腰曲輪には竪堀が穿たれ、Ⅰ郭の東側には側方に櫓台を備えた竪堀状虎口が築かれている。Ⅰ郭の南にはⅡ郭が続くが、Ⅱ郭内部は飯高寺の建物が建ち、大きく改変されているものと考えられる。それでも東側に築かれた腰曲輪が残っている。南に一直線状の土塁があって、その南がⅢ郭、更に空堀を挟んでⅣ郭と続く。Ⅳ郭の西にかなり浅くなった空堀を挟んでⅤ郭があり、その北にも物見として機能したと思われる出曲輪が築かれて城域が終わっている。Ⅲ郭以降は全て腰曲輪を備えており、中世城郭の雰囲気を濃厚に漂わせているが、堀も土塁も直線的で横矢掛かりがあまり見られないことを考えると、当城への小田原北条氏の関連は薄いように思われる。尚、飯高城の近くには、黄門桜など水戸黄門として知られる徳川光圀所縁の史跡が多く残り、水戸徳川家と飯高檀林の関係を今に伝えている。
Ⅰ郭の竪堀城虎口→IMG_7611.JPG
IMG_7591.JPG←Ⅰ郭の土塁
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=35.74525,140.52991&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
タグ:中世平山城
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