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大浦城(千葉県匝瑳市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_7695.JPG←主郭東側の横堀
 大浦城は、下総の名族千葉氏の庶流椎名氏の一族大浦氏の居城である。千葉常重の子胤光が椎名郷を領して椎名氏を称し、その孫の長岡五郎行胤の弟胤基が匝瑳郡大浦村を領して大浦氏を称したと言われている。

 大浦城は、借当川南岸に張り出した比高30m程の南北に細く伸びた丘陵上に築かれている。城内はほとんどが未整備の薮に埋もれているが、遺構は比較的良く残っている。周囲には民家が多いので、民家がなく山に取り付きやすい北西部から訪城した。最高所に主郭を置き、北尾根に数段の段曲輪を配置し、掘切の先は平坦な尾根をそのまま曲輪としていた様である。主郭は北側に前衛の物見台となる小郭と櫓台を置き、その下に主殿があったと思われるまとまった広さの平場を置いている。主郭東側には内枡形の虎口が築かれ、そこから繋がる腰曲輪の先に横堀が穿たれて主郭東方の防御を固め、上方には主郭の隅櫓台が睨みを効かせている。主郭背後は広い窪地となり、ニノ郭との間を分断する掘切を兼ねた腰曲輪となっている。ニノ郭は浄華段の平場で構成され、周囲に腰曲輪を伴い、背後をやはり大堀切で分断している。この掘切に面したニノ郭西側の腰曲輪には物見台が築かれ、城道を兼ねたと思われる掘切への備えを固めている。その南にも小高くそびえる曲輪などが続くが、民家の裏でもあり、また竹藪もひどく踏査は断念した。一方、西に伸びた支尾根にも西出曲輪があり、主尾根と西出曲輪を繋ぐ尾根には一騎駆け状の土橋兼用の土塁を背後に築いた腰曲輪が築かれている。大浦城は、民家が近いので不用意に立ち入らない方が無難だが、主郭付近は薮も少なく遺構もしっかりしている。
主郭の枡形虎口→IMG_7687.JPG
IMG_7756.JPG←ニノ郭の堀切
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=35.731717,140.534266&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
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