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吉田城(茨城県水戸市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_0569.JPG←常照寺前面の空堀
 吉田城は、水戸城の支城である。平安後期に大掾繁幹の子吉田清幹が築城したと伝えられる。清幹の子・孫の系統からは、鹿島氏・行方氏など後に鹿行地域に広く蟠踞することになった大掾氏系の諸族を輩出した。また鎌倉時代初頭には、大掾氏嫡流の多気太郎義幹は八田知家の讒言によって失脚し、吉田家幹の次男で馬場城(後の水戸城)主馬場資幹は、源頼朝から常陸大掾職と大掾氏の惣領を与えられて宗家を継いだ。この系統を馬場大掾氏と呼んでいる。この頃に吉田城は水戸城の支城となったと思われるが、明確な歴史は不明。室町時代に河和田城主江戸通房が水戸城を奪うと、吉田城は水戸城の出城として重要な位置を占めた。小田原の役の後、佐竹義宣が江戸氏を滅ぼすと、佐竹氏の重臣車丹波守斯忠の居城となったが、関ヶ原合戦後の秋田移封に伴い廃城となった。

 吉田城は、標高25m、比高15m程の舌状台地先端に築かれた城である。主郭は常照寺に当たり、田の字状に曲輪を配置している。常照寺境内の周りには空堀・土塁が残り、城の名残を色濃く残している。常照寺北東の曲輪外周には腰曲輪も明確に残っている。しかし縄張りの技巧性には乏しく、城としての位置付けが方形居館の延長線から抜け切れていなかった様に思われる。同じ水戸城の支城であった見川城などと比べると、随分と見劣りする印象である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=36.357388,140.489506&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
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