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小坂城(茨城県牛久市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_1449.JPG←張り出した主郭櫓台
 小坂城は、歴史不詳の城である。『小田家風記』に岡見備中守が城主だったとの記載があること、また岡見氏の初期の居城岡見城から東南東にわずか2.5kmの位置にあることから、牛久城を築いた岡見氏関連の城であったと推測されている。また『新編常陸国誌』には、小野川対岸にある泉城の城主東条重定が岡見氏の主家であった小田城主小田氏治と小坂の地で戦って討死したと記載されており、小坂城の岡見氏もこの戦いに参加していたと思われる。戦国末期には岡見氏領は佐竹氏と対峙した小田原北条氏の勢力圏の最前線となっており、厳しい軍事的緊張下で小坂城も改修されたのだろう。

 小坂城は、小野川北岸の比高15m程の段丘上に築かれた城である。近年城址公園として整備されており、良好な中世城郭の遺構が綺麗に姿を現している。南西端に主郭を置き、その周りにニノ郭、更にその北側に三ノ郭・四ノ郭を東西に並置した縄張りとなっている。各曲輪の外周には土塁と空堀が廻らされて防御を固めているが、この城で出色なのは非常に巧みな横矢掛かりと塁線の折れが設けられていることである。四ノ郭外周以外のどの塁線も、一つとして直線のみのものはなく、屏風折れの塁線となって、要所には櫓台が設けられて厳重な防御構造を構築している。特に主郭では、北辺に櫓台が張り出してニノ郭虎口に対する迎撃拠点となっており、また主郭虎口は櫓門を設けていた様である。この他、二ノ郭と四ノ郭の間は二重空堀となっている。とにかく巧みな塁線が素晴らしく、整備された牛久城といい、この小坂城といい、さすが北条の城は美しい。
 整備されてこれほど素晴らしい姿を現している小坂城だが、国道408号線の建設で、主郭の南西部1/3程が消失しているのが惜しい!何故わずか数十mズラして遺構を守れなかったのか、今から考えれば残念でならない。
二重空堀→IMG_1361.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=35.966614,140.198089&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
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