大舟楯(山形県川西町) [古城めぐり(山形)]
←主郭前面の掘切
大舟楯は、伊達四十八館の一つで中目兵庫頭康長の居城である。中目氏の事績は不明であるが、後の仙台伊達藩において「御一家」格に列した重臣中目氏のことと思われる。その家格から考えれば、伊達家中でもかなり高位の重臣であった様である。
大舟楯は、大舟丘陵から伸びた尾根北端の比高20mの丘陵地に築かれている。現在熊野神社が鎮座しているが城郭遺構は明瞭で、神社の建つ主郭の背後に掘切が穿たれ、その左右には竪堀が落ち、特に東側では二重竪堀となっている。この二重竪堀の内の1本は、主郭東側の腰曲輪に繋がっており、竪堀を兼ねた城道であった様である。また主郭前面にもしっかりした掘切が穿たれ、主郭西側の帯曲輪に繋がっている。前面の掘切の先の尾根は物見郭だったらしく、その先端にも小堀切と前衛の小郭が築かれている。小規模な崖端城であるが、神社の周りにはっきりとした城郭遺構が残っているのには、目を見張らされる。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=37.950018,140.024132&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
大舟楯は、伊達四十八館の一つで中目兵庫頭康長の居城である。中目氏の事績は不明であるが、後の仙台伊達藩において「御一家」格に列した重臣中目氏のことと思われる。その家格から考えれば、伊達家中でもかなり高位の重臣であった様である。
大舟楯は、大舟丘陵から伸びた尾根北端の比高20mの丘陵地に築かれている。現在熊野神社が鎮座しているが城郭遺構は明瞭で、神社の建つ主郭の背後に掘切が穿たれ、その左右には竪堀が落ち、特に東側では二重竪堀となっている。この二重竪堀の内の1本は、主郭東側の腰曲輪に繋がっており、竪堀を兼ねた城道であった様である。また主郭前面にもしっかりした掘切が穿たれ、主郭西側の帯曲輪に繋がっている。前面の掘切の先の尾根は物見郭だったらしく、その先端にも小堀切と前衛の小郭が築かれている。小規模な崖端城であるが、神社の周りにはっきりとした城郭遺構が残っているのには、目を見張らされる。
二重竪堀→
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=37.950018,140.024132&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
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