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杉沢楯(山形県白鷹町) [古城めぐり(山形)]

IMG_3571.JPG←本城前面の畝状竪堀
 杉沢楯は、歴史不詳の城である。最上川流域の平地部からはやや奥まった山上に築かれている。標高376mの山頂に築かれた城と、その西側に張り出した標高350mの尾根上に築かれた城の2つに大きく分かれており、ここではそれぞれ「詰城」「本城」と仮称する。大手は本城の北西尾根にあったと思われるが、麓が民家の敷地になっているので登れない。その代わり、城の南から東に抜ける車道を登って行くと、東側から詰城の南に伸びる尾根に比高わずか30m程で取り付くことができるので、それが一番手っ取り早い。

 このルートで最初に到達する詰城は、背後を二重掘切で遮断した小規模な城砦で、主郭の前面や左翼に腰曲輪を築いただけの簡素な作りである。ここから西に尾根を降っていくと鞍部に小堀切があり、その先に暫く歩くと三重掘切が見えてきて、ここから本城となる。三重掘切は、他の掘切と比べると規模は大きく、比較的鋭く穿たれている。本城の主郭は東西に細長く伸びて後ろですぼまっており、左右両側に腰曲輪を伴っている。この主郭の形状は、まるでWEC(世界耐久選手権)カーのLMPタイプのキャビン部分の様である。また背後にせり上がった土塁を伴っており、これはさながらリヤスポイラーの様である。主郭の前面にはニノ郭が広がり、その前面には腰曲輪が左右に交互に配置されている。最下段の腰曲輪の北端に虎口があり、その下に大手道が伸びている。この大手虎口は、左右に交互に竪堀を落として、S字状の土橋形状にして動線を制約している。この竪堀の内、西側に穿たれた竪堀と連携して、西側の平板な斜面に20条の畝状竪堀が穿たれている(『山形県中世城館遺跡調査報告書』では17本としているが、浅くなったものも含めて全部で20本確認できた)。ここは本城の前面に当たる斜面で、この方面の防御を強く意識していたことがわかる。畝状竪堀の内、南から10本は長さが短かめだが、11本目からは長く伸びている。いずれにしても、大手道から斜面への敵兵の移動を制約する意図が明確である。山形には最上氏の城に畝状竪堀が多いが、最上のものはいずれも長さが短くコブ状のものであるが、杉沢楯のものは規模構造が異なっており、完全な洗濯板状の長い竪堀群である。山形では特筆すべき貴重な遺構で、もしかしたら上杉氏が会津・米沢入部後に、最上氏との戦闘に備えて築いたものかも知れない。
本城背後の三重掘切→IMG_3496.JPG
IMG_3503.JPG←主郭と腰曲輪
大手道に穿たれた竪堀→IMG_3546.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:〔詰城〕
     http://maps.gsi.go.jp/?ll=38.158334,140.104576&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
    〔本城〕
     http://maps.gsi.go.jp/?ll=38.15884,140.103096&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
タグ:中世山城
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