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埴生城(京都府南丹市) [古城めぐり(京都)]

IMG_3668.JPG←櫓台に残る石垣
 埴生(はぶ)城は、神尾山城の支城と言われ、野々口左衛門尉親永が築いたと言われている。その子西蔵坊清親の時に、織田信長の命による明智光秀の丹波攻略があり、西蔵坊は光秀と八上城主波多野秀治との間を取り持ったと伝えられている。

 埴生城は、宿場町として反映した埴生集落背後に南から北に突き出た標高280m、比高80mの山上に築かれた城である。最福寺の墓地裏から登道がついている。墓地裏の道を小川を越えて東に一段登ると、そこには数段の広い平場があり、野々口氏の居館があったとされている。その背後には両側に土塁を築いた虎口があり、その奥には数段の平場群が展開しており、山麓大手の曲輪群と考えられる。山上の城はほぼ単郭の簡素な構造で、主郭の北西部にわずかに石垣を残した虎口を設けている。主郭の東側には腰曲輪を設け、主郭背後は一段高くなっており、天守台の祖形のような大型の櫓台であったと推測される。単郭の小城には不釣り合いな程の大櫓台で、しかもこの櫓台にも石垣が残っている。ちなみに石垣は、東腰曲輪に面した主郭東縁部にも確認できる。大櫓台の背後は、やはり小城には不釣り合いな程の規模の堀切で、尾根を分断している。その先は平坦な尾根が続くがほぼ自然地形のようである。埴生城は、その城の規模とは裏腹に、大櫓台や掘切、石垣まで有し、戦国後期まで存続した小土豪の城がどの様なものだったのかを今に伝える、貴重な遺構である。
山麓居館背後の大手虎口→IMG_3636.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=35.05561,135.447639&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
タグ:中世山城
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