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細工所城(兵庫県篠山市) [古城めぐり(兵庫)]

IMG_3817.JPG←堀切に架かる斜めの土橋
 細工所城は、荒木城とも言い、天正年間(1573~92年)に八上城主波多野氏の家臣荒木山城守氏綱の居城であった。氏綱は波多野氏旗頭七人衆の一人と称され、かなりの勇将であったらしく「荒木鬼」と呼ばれて恐れられた。織田信長の命で丹波に侵攻した明智光秀によって、度々攻められたが何度も撃退したと言う。しかし1577年に始まった二度目の丹波攻めの際に激戦の末に落城し、氏綱は光秀に降伏した。光秀は長期包囲戦で1579年に波多野氏を滅ぼした後、氏綱の武勇を惜しんで家臣になるよう請うたが、氏綱は病気を理由に固辞した。代わりに子の氏清が光秀に仕え、本能寺の変や山崎合戦にも参加したが、天王山で光秀と共に滅んだと伝えられている。

 細工所城は、篠山川東岸にそびえる標高404m、比高164mの山上に築かれている。南西麓から登道が整備されているので、迷うこと無く登ることができる。山頂の主郭を中心に、北・南西・南東に段曲輪群を配し、更に北西に伸びる尾根上にも片掘切と一騎駆けの土橋を介して出曲輪を築いている。掘切は各尾根に配された段曲輪群に見られるが、南東尾根のもの以外は小規模で数も少ない。また全体的な縄張りも比較的旧態依然としたもので、戦国後期に明智軍の猛攻に耐えた城という印象はあまり感じられない。ただ非常に特徴的なのは、南東尾根に穿たれた掘切で、城内では最も規模が大きい上、斜めに土橋が架かる珍しい構造をしている。この搦手筋を厳重に防御する意図があったのだろう。この他、山麓からの登道を登り始めた所に、山麓居館跡とされる平場と櫓台・掘切があり、周囲には腰曲輪も付随している。細工所城は、縄張り的にはやや見所が少ないが、登道が整備されているので登りやすく、且つ光秀の丹波平定戦で知られた城であり、お勧めである。
主郭まで段々に連なるニノ郭群→IMG_3786.JPG
IMG_3760.JPG←出曲輪との間の一騎駆け土橋
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=35.092822,135.322284&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
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