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古河城(茨城県古河市) [古城めぐり(茨城)]

DSC08537.JPG←最も旧状を残す獅子ヶ崎土塁
(2007年1月・6月、2012年11月訪城)
 古河城は、古河公方足利氏の本拠となった城である。その創築は、小山政光の弟行義を祖とする下河辺氏によるともされるが定かではない。古河城がはっきりとその姿を現すのは、享徳の大乱に於いてである。即ち、室町後期の1454年、鎌倉公方足利成氏が対立する関東管領上杉憲忠を誅殺して、関東全域を巻き込む大乱が勃発した。これが享徳の乱である。上杉派討伐のため出陣中であった成氏は、その留守中に室町幕府の命で派遣された駿河守護今川範忠に鎌倉を奪われ、自派の小山氏や結城氏らの本拠に近い古河に奔って、鴻巣御所を造営して本拠とした。これ以降を古河公方と称する。上杉方は成氏に対抗するため、扇谷上杉氏の家宰太田道灌に命じて河越岩槻江戸の3城を築いた。一方、古河公方成氏は、渡良瀬川に臨み東と南を沼で囲まれた要害の地に古河城を築いて本拠を移し、配下の梁田氏の関宿城・木造氏の栗橋城・野田氏の野田城と共に、利根川を境にして上杉氏勢力と対峙して、約30年間に渡って関東を二分して争った。その間、一時上杉勢に古河城を攻め落とされたこともあったが、再び奪還し、古河城は古河公方の本拠であり続けた。やがて小田原北条氏が勃興して関東に勢力を拡張してくると、一族内で内訌を繰り返した古河公方家も北条氏の軍事力を無視できなくなり、足利晴氏は北条氏綱の力によって、対立する小弓公方足利義明を第一次国府台合戦で滅ぼした。そして晴氏が氏綱の娘を正室に迎えたことで、北条氏は「足利氏御一家」の格式を手に入れ、また関東管領職に補任されたことで、関東諸勢力に大きな影響を及ぼすこととなった。しかし1541年に氏綱が病没し、子の氏康が後を継ぐと、北条氏に押されていた山内・扇谷両上杉氏は反攻に転じ、1545年に北条氏に奪われていた河越城を大軍で包囲した。この時、古河公方晴氏も上杉氏に味方して包囲軍に加わった。しかし翌46年4月、戦国史上に名高い河越夜戦が生起して北条氏は大勝利を収め、晴氏は古河城に逃げ帰った。その後、関東経略を進める北条氏康の圧迫が強まり、晴氏は長子藤氏を廃嫡し、北条氏の血を引く次子義氏に家督を譲って隠居した。義氏は葛西城に入って「葛西様」と尊称された。1554年、隠居の晴氏は藤氏と共に古河城に入って北条氏に反旗を翻した。しかし間もなく鎮圧されて、晴氏は相模波多野に幽閉された。1558年、古河公方義氏をその重臣簗田氏の居城関宿城に移し、かわりに簗田氏を古河城に移した。1560年、上杉謙信が関東に出陣すると、梁田氏は藤氏を擁して北条氏から離反したが、謙信が翌年越後に帰陣すると北条氏の討伐を受けた。1569年、越相同盟の成立と共に義氏は古河城に入った。1582年に義氏が嗣子なく死去して古河公方家が断絶すると、古河城は北条氏照の配下に置かれた。1590年の小田原の役の際には、北条氏の家臣芳賀正綱が古河城を守っていたが、上方勢に攻められて落城した。北条氏の滅亡後、徳川家康が関東に入部すると、小笠原秀政を古河城主とした。1601年に秀政が信州飯田に転封となると、松平康長が古河城に入り、この康長の時に古河城は近世城郭として改修された。その後、幾つかの城主の変遷を経て、1633年に幕府老中であった土井利勝が、佐倉城から古河城に16万石で加増移封となった。その後、土井氏が数代続いた後、堀田氏、松平氏など幕府重臣が城主を歴任し、1762年から再び土井氏の居城となって幕末に至った。

 古河城は、大河である渡良瀬川河畔に築かれた平城である。その立地のせいもあって、現在は城域の大半は堤防工事などで失われ、堤防に懸からなかった部分も市街化で遺構の多くが湮滅している。かつては大河を背後に、前面に沼地を堀とした連郭式を主体とした縄張りで、北から順に観音寺曲輪・桜町曲輪・三ノ丸・ニノ丸・本丸・頼政曲輪・立崎曲輪、そして東に出丸の諏訪曲輪が築かれていた。本丸は堤防下にあり、現在は堤防道に標柱が建っているだけで、往時の面影は全く失われている。現存する遺構は古河歴史博物館周りの諏訪曲輪の土塁・堀と桜町曲輪北西端の獅子ヶ崎土塁だけである。諏訪曲輪の方はコンクリートで改変され、往時の景観に乏しいが、獅子ヶ崎土塁は数年前に整備されたらしく、現在は解説板が設置されて保護されている。この他、町中には大手門跡などの石碑が建っている。もう少し往時の遺構が残っていたらと惜しまれるが、大雨の度に城内から緊急避難していたと伝えられる城だけに、度重なる洪水などでどのみち遺構が損壊していたかも知れず、致し方のないところであろう。
博物館周囲の諏訪曲輪土塁→DSC02292.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/?ll=36.191715,139.697932&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
    (獅子ヶ崎土塁の位置)
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