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法光寺城(兵庫県篠山市) [古城めぐり(兵庫)]

IMG_4547.JPG←主郭の低土塁
 法光寺城は、丹波の戦国大名波多野氏の支城である。波多野氏は当初奥谷城を居城としたが、その後より峻険な八上城を築いて居城を移した。そして八上城西麓の殿町に城下町を整備し、城下町と八上城の防衛の為、西に障壁の様にそびえる山稜上に法光寺城を築いた。法光寺城の築城は天文年間(1532~55年)の頃と推測されており、1559年に三好長慶の軍勢に八上城が攻められた時、法光寺城が三好方の部将内藤宗勝の手に落ちたという記録が残っている。1578~79年に明智光秀が八上城を完全包囲して兵糧攻めにした時には、法光寺城は明智方の手に落ちて八上城に対する付城として機能したと言う。

 法光寺城は、前述の通り八上城から殿町を挟んだ西の山稜上に築かれた城砦である。その中枢部は343.7mの三角点のあるピークで、そこから北に伸びる尾根上に3ヶ所、西の尾根に2ヶ所の合計6ヶ所の「防御陣地」(現地解説板の表現)が築かれている。法光寺城も、本城の八上城と共に国の史跡範囲に入っているが、あまり整備はされておらず明確な登道も整備されていない。しかしよく見ると北麓の藪の中に虎口郭らしい平場と土塁がある。大手の木戸口であろうか。そこを登ってやや東側へと登っていくと、そこから竪堀状の登り道が一直線に伸びているが、大手道であろうか?この道は逃げ場のない一気直登の急坂である。そこを登って尾根状の平坦面に出ると、そこが第1郭群である。先端に数段の段曲輪を伴った広めの舌状の曲輪を有し、更に数段の小郭で構成されている。更に尾根を進むと小堀切の先の小ピーク上に第2郭群、更にその先に第3郭群が現れる。第2郭群は明確な切岸の段曲輪を持ち、頂部の曲輪の後部は一段高くなっている。その後ろにも細長い曲輪が続いている。第3郭群は第2郭群と比べると少々普請が甘く、切岸などの明瞭さにやや欠ける。その先に竪堀で動線制約された土橋があり、その先が主郭に当たる第4郭群である。ここが最も多くの段曲輪群で構成されており、更に頂部の主郭外周には低土塁も築かれており最も防備が厳重であるが、砦的なレベルで普請は小規模である。ここから西尾根の2つの郭群は、時間の都合で今回はパスした。法光寺城は、小規模な郭群だけで構成された小城砦であるが、八上城の全体像を把握する上では貴重な遺構である。
 尚、主尾根のほとんど全体に害獣除けの金網が張ってあるので、写真映りが悪くなってしまうのが難。
動線制約の竪堀→IMG_4534.JPG
IMG_4583.JPG←北麓の大手木戸口らしい地形
 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=35.058192,135.245122&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
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