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奥谷城(兵庫県篠山市) [古城めぐり(兵庫)]

IMG_4633.JPG←ニノ郭背後の大堀切
 奥谷城は、蕪丸城とも呼ばれ、丹波の戦国大名波多野氏の初期の居城である。後により峻険な八上城を築いて居城を移すと、奥谷城は出城として機能したと考えられている。

 奥谷城は、高城山から伸びる南西の尾根先端の比高60m程のピーク上に築かれている。比較的小規模な城であるが、遺構はよく残っている。麓の道路に解説板があり、その脇から山林内に入って行ける。特に整備はされていないが、比較的歩きやすい。解説板の脇から登る道はかつての大手道らしく、その上に大手木戸口と大手郭群が築かれている。大手郭群から尾根道を数分登ると主郭の腰曲輪に至る。この腰曲輪は主郭前面の三ノ郭に通じている。三ノ郭と主郭は3m程の切岸で区画されている。主郭は西側に大手虎口が築かれ、虎口の両側には幅広の土壇があるので櫓門になっていたのだろう。主郭の東斜面には竪堀らしい地形も散見されるが、あまり明瞭ではなく遺構かどうかはっきりしない。主郭背後には切岸下の小堀切を挟んでニノ郭があり、ニノ郭の背後は高城山に続く尾根との鞍部で、大堀切に加工されている。掘切の底は堀底道として使われていた様だ。一方、主郭の北西斜面には腰曲輪群が築かれ、その下方には居館の平場が広がっている。この居館部は、腰曲輪群から続く土塁で囲まれ、更にその下にも大きな平場があって、上下2段の平場で構成されていた様だ。居館部のすぐ南側が、最初に登ってきた大手郭群である。奥谷城は、比較的単純な形態の小さな城で、波多野氏の勢力が増すにつれて、手狭になった為に八上城に移ったことが、遺構を見るとよく理解できる。
山麓の居館部→IMG_4650.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=35.056102,135.252954&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
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