織原氏館(埼玉県寄居町) [古城めぐり(埼玉)]
←堀跡と思われる水路
織原氏館は、武蔵七党の一流丹党に属する織原氏の居館である。織原氏は、丹党の薄長房の次男泰房が男衾郡折原村に分封されて、織原丹五郎を名乗ったのが始まりとされる。その他の事績は不明である。
織原氏館は、荒川南岸の平野に築かれていたとされる。現在は畑となって遺構は完全に湮滅しており、周囲の堀跡と思われる90度折れ曲がった水路と堀の内の地名がその痕跡を残しているに過ぎない。館跡には「堀の内 織原氏の 屋敷跡」という郷土かるたが立てられており、その隣には井戸がある。これは往時の井戸が残っているのだろうか?いずれにしても、高度成長期前の1960年の航空写真を見ても、既に前述の水路以外は確認できないので、早くに遺構が失われたのだろう。それでも郷土かるたに謳われるほど、その歴史が伝えられているのが微笑ましい。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=36.114338,139.176221&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
織原氏館は、武蔵七党の一流丹党に属する織原氏の居館である。織原氏は、丹党の薄長房の次男泰房が男衾郡折原村に分封されて、織原丹五郎を名乗ったのが始まりとされる。その他の事績は不明である。
織原氏館は、荒川南岸の平野に築かれていたとされる。現在は畑となって遺構は完全に湮滅しており、周囲の堀跡と思われる90度折れ曲がった水路と堀の内の地名がその痕跡を残しているに過ぎない。館跡には「堀の内 織原氏の 屋敷跡」という郷土かるたが立てられており、その隣には井戸がある。これは往時の井戸が残っているのだろうか?いずれにしても、高度成長期前の1960年の航空写真を見ても、既に前述の水路以外は確認できないので、早くに遺構が失われたのだろう。それでも郷土かるたに謳われるほど、その歴史が伝えられているのが微笑ましい。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=36.114338,139.176221&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
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