大平山城(栃木県栃木市) [古城めぐり(栃木)]
←曲輪側方の石垣
(2007年1月訪城)
大平山城は、歴史不詳の城である。勢力圏としては皆川氏の領域にあり、南方は榎本城・藤岡城、西方は唐沢山城を望見でき、北は皆川城と連絡することのできる高地であることから、皆川氏の支城と推測するのが自然であろう。尚、太平山神社裏の郭の北東にある大館山も城域で、皆川・北条の間で激戦が行われたと言う。また、太平山神社の南東に伸びる尾根上の平場は「謙信平」と呼ばれ、1569年に越相同盟が結ばれた後、謙信は大平山に登って兵馬の訓練を行い、この謙信平から関東平野を望見してその広さに目を見張ったと伝えられている。
大平山城は、標高341mの大平山山頂を中心に築かれた城である。遺構としてはささやかで、富士浅間神社の鎮座する山頂に小さな主郭があり、神社裏には櫓台が築かれている。主郭周囲には腰曲輪が廻らされ、主郭から南東の太平山神社に向かって伸びる尾根上に幾つかの曲輪が築かれている。また主郭近くの西尾根も曲輪が築かれている。しかし特に掘切などで分断されておらず、普請としては平場を削平しただけのささやかなものである。一方で、南東の曲輪の側面には立派な石垣があり、往時の遺構の可能性がある。但し、小規模な城砦には似つかわしくない規模であり、富士浅間神社への参道を整備した際の後世の構築の可能性も考えられる。いずれにしても、皆川領の南方を監視する物見として機能した城砦であろう。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=36.365129,139.690282&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
(2007年1月訪城)
大平山城は、歴史不詳の城である。勢力圏としては皆川氏の領域にあり、南方は榎本城・藤岡城、西方は唐沢山城を望見でき、北は皆川城と連絡することのできる高地であることから、皆川氏の支城と推測するのが自然であろう。尚、太平山神社裏の郭の北東にある大館山も城域で、皆川・北条の間で激戦が行われたと言う。また、太平山神社の南東に伸びる尾根上の平場は「謙信平」と呼ばれ、1569年に越相同盟が結ばれた後、謙信は大平山に登って兵馬の訓練を行い、この謙信平から関東平野を望見してその広さに目を見張ったと伝えられている。
大平山城は、標高341mの大平山山頂を中心に築かれた城である。遺構としてはささやかで、富士浅間神社の鎮座する山頂に小さな主郭があり、神社裏には櫓台が築かれている。主郭周囲には腰曲輪が廻らされ、主郭から南東の太平山神社に向かって伸びる尾根上に幾つかの曲輪が築かれている。また主郭近くの西尾根も曲輪が築かれている。しかし特に掘切などで分断されておらず、普請としては平場を削平しただけのささやかなものである。一方で、南東の曲輪の側面には立派な石垣があり、往時の遺構の可能性がある。但し、小規模な城砦には似つかわしくない規模であり、富士浅間神社への参道を整備した際の後世の構築の可能性も考えられる。いずれにしても、皆川領の南方を監視する物見として機能した城砦であろう。
南東尾根の曲輪→
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=36.365129,139.690282&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
タグ:中世山城
太平山にこんなところが残っているのですね
よく行きますが気づきません
確かに城を築くのにはいいかもしれませんね
by tochi (2015-09-01 07:15)
>tochiさん
8年も前なのではっきりとは覚えていないのですが、前後の写真から考えると、登山道から脇にそれた部分に石垣があるはずです。夏場は薮で無理だと思いますが、冬場なら確認可能なはずですので、是非この冬にでも探索してみてください。
by アテンザ23Z (2015-09-01 22:57)