石戸堀の内館(埼玉県北本市) [古城めぐり(埼玉)]
←神社裏の土塁と堀跡
石戸堀の内館は、蒲冠者源範頼の居館であったとも、石戸左衛門尉の居城であったとも言われる城館である。範頼の館との説は、単なる伝承と思われるが、付近には範頼伝説の残る東光寺や石戸蒲桜がある。それに対し、鎌倉幕府の御家人であった石戸左衛門尉については、『吾妻鏡』に鎌倉中期の鶴岡八幡宮放生会参列の記事があり、その石戸氏の館であったという説が有力である。
石戸堀の内館は、荒川東岸の段丘の中程に位置している。北本市の資料によれば、100m四方の方形の主郭を、円形とおむすび形の二重の土塁・堀で囲郭する、規模の大きな城館であったらしい。現在も遺構の一部が残っており、石戸神社の裏の山林内には土塁と堀が残っている。またおむすび形の外郭の南辺には、切岸跡の大きな傾斜地と堀跡の水路が残っており、往時の規模を偲ばせる。遺構はわずかだが、地勢は往時のまま残っている様だ。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=36.007017,139.513814&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
石戸堀の内館は、蒲冠者源範頼の居館であったとも、石戸左衛門尉の居城であったとも言われる城館である。範頼の館との説は、単なる伝承と思われるが、付近には範頼伝説の残る東光寺や石戸蒲桜がある。それに対し、鎌倉幕府の御家人であった石戸左衛門尉については、『吾妻鏡』に鎌倉中期の鶴岡八幡宮放生会参列の記事があり、その石戸氏の館であったという説が有力である。
石戸堀の内館は、荒川東岸の段丘の中程に位置している。北本市の資料によれば、100m四方の方形の主郭を、円形とおむすび形の二重の土塁・堀で囲郭する、規模の大きな城館であったらしい。現在も遺構の一部が残っており、石戸神社の裏の山林内には土塁と堀が残っている。またおむすび形の外郭の南辺には、切岸跡の大きな傾斜地と堀跡の水路が残っており、往時の規模を偲ばせる。遺構はわずかだが、地勢は往時のまま残っている様だ。
外郭の堀跡の水路→
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=36.007017,139.513814&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
タグ:中世平城
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