春日山館(埼玉県伊奈町) [古城めぐり(埼玉)]
←桂全寺に残る春日氏墓
春日山館は、小田原北条氏の家臣春日下総守景定の居館である。春日氏は藤原氏の出自と言われ、春日八郎光行は1537年に北条氏綱が扇谷上杉朝定の本拠であった河越城を攻略した際に軍功を挙げ、足立郡菅谷村に館を設け、足立一円を領した。その嫡子景定は岩槻太田氏に属していたが、岩槻城が北条氏康によって攻略されてその支城となると、そのまま北条氏に属し、1569年に小針内宿村に陣屋を築いたと言われる。後に北条氏が滅亡すると徳川家に仕え、京都伏見城の御門番を務めたと言う。
春日山館は、現在は詳細な場所は不明であるが、内宿台という地名のある一帯にあったと思われる。この地は、宅地化され尽くした現在ではわかりにくいが、昭和20年代前半の航空写真を見ると、綾瀬川流域の低湿地帯に西から張り出した低台地上に位置し、三方を湿地帯で囲まれた要害地形だった様である。前述の通り宅地化され尽くしているので遺構は見る影もないが、内宿駅近くの桂全寺に春日氏の墓が残っており、その足跡を今に伝えている。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=36.016511,139.605589&z=15&base=std&vs=c1j0l0u0
※但し、正確な場所は不明。
春日山館は、小田原北条氏の家臣春日下総守景定の居館である。春日氏は藤原氏の出自と言われ、春日八郎光行は1537年に北条氏綱が扇谷上杉朝定の本拠であった河越城を攻略した際に軍功を挙げ、足立郡菅谷村に館を設け、足立一円を領した。その嫡子景定は岩槻太田氏に属していたが、岩槻城が北条氏康によって攻略されてその支城となると、そのまま北条氏に属し、1569年に小針内宿村に陣屋を築いたと言われる。後に北条氏が滅亡すると徳川家に仕え、京都伏見城の御門番を務めたと言う。
春日山館は、現在は詳細な場所は不明であるが、内宿台という地名のある一帯にあったと思われる。この地は、宅地化され尽くした現在ではわかりにくいが、昭和20年代前半の航空写真を見ると、綾瀬川流域の低湿地帯に西から張り出した低台地上に位置し、三方を湿地帯で囲まれた要害地形だった様である。前述の通り宅地化され尽くしているので遺構は見る影もないが、内宿駅近くの桂全寺に春日氏の墓が残っており、その足跡を今に伝えている。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=36.016511,139.605589&z=15&base=std&vs=c1j0l0u0
※但し、正確な場所は不明。
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