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志筑城(茨城県かすみがうら市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_7667.JPG←主郭周囲の土塁
(2015年7月訪城)
 志筑城は、鎌倉時代に下総国下河辺荘の地頭であった下河辺政義が築城した。政義は、源頼朝の叔父に当たる兄の行平と共に頼朝に仕え、1181年に志田三郎先生義広が挙兵して下野を攻めた時、これを討伐した功によって下河辺荘の地頭職を賜り、志筑城を築いたと言われている。その後、子孫は益戸氏を称して、代々志筑城主となった。6代益戸国行は、南北朝争乱の中で南朝方に組し、幕将高師冬によって小田城と共に攻められた。国行は、北朝方の大掾高幹らと数度にわたって戦い防戦に努めたが、1341年6月に遂に敗れ、下野小山氏の元に逃れ、志筑城は廃城となった。時代は下って、1602年に佐竹氏が秋田に移封となり、代わって秋田の本堂茂親が志筑藩の領主となると、当初は笠松城を居城としたが、1645年にこの地に陣屋を新たに構えて移り、以後幕末まで本堂氏12代の陣屋となった。

 志筑城は、恋瀬川南岸の比高15m程の台地突出部に築かれている。以前は主郭に志筑小学校があったが、現在は廃校となった後に校舎が撤去され、広い空き地となっている。空き地の北辺と西辺には土塁が残り、その西側には空堀も残っている。しかしそれ以外には明確な遺構がないので、往時にどの様な縄張りだったのかは想像するしか無い。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=36.192529,140.233977&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
タグ:中世平山城
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