小谷城(栃木県小山市) [古城めぐり(栃木)]
←城址碑と神明宮
(2007年1月訪城)
小谷(こや)城は、下野の名族小山氏の支城である。元々の創築は、1120年に小谷三郎俊景によるとされる。後に小山氏の祖、小山政光がこの地を支配し、居住したと伝えられている。南北朝期には、小山氏の庶流網戸村重が小谷城主となって生井八郎を称したが、結城合戦(1440~41)に破れ、奥州に逃れた。戦国後期になると、祇園城主小山秀綱が小谷城を再興し、大橋左京亮を城代としたが、1590年の祇園城落城と共に廃城となったと言う。
小谷城は、渡良瀬遊水地の北東にあり、旧思川の北岸の低台地上に築かれていた。古い航空写真を見ると、台地の周囲を円形に取り囲む堀が残っていたようだが、現在は耕地整理によって遺構は完全に湮滅している。わずかにかつての城内の一角に、神明宮の小さな祠が建ち、そこに『史跡 小谷城址』と刻まれた石碑が建つのみである。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=36.24988,139.715002&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
(2007年1月訪城)
小谷(こや)城は、下野の名族小山氏の支城である。元々の創築は、1120年に小谷三郎俊景によるとされる。後に小山氏の祖、小山政光がこの地を支配し、居住したと伝えられている。南北朝期には、小山氏の庶流網戸村重が小谷城主となって生井八郎を称したが、結城合戦(1440~41)に破れ、奥州に逃れた。戦国後期になると、祇園城主小山秀綱が小谷城を再興し、大橋左京亮を城代としたが、1590年の祇園城落城と共に廃城となったと言う。
小谷城は、渡良瀬遊水地の北東にあり、旧思川の北岸の低台地上に築かれていた。古い航空写真を見ると、台地の周囲を円形に取り囲む堀が残っていたようだが、現在は耕地整理によって遺構は完全に湮滅している。わずかにかつての城内の一角に、神明宮の小さな祠が建ち、そこに『史跡 小谷城址』と刻まれた石碑が建つのみである。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=36.24988,139.715002&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
タグ:中世平城
コメント 0