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木田余城(茨城県土浦市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_7856.JPG←主郭部の現況
 木田余城は、居城の小田城を逐われた小田氏治が居城とした城である。元々は、信太荘司紀貞頼の後裔、信太伊勢守が築いた城で、小田氏に仕えていた。戦国中期の1554年、信太伊勢守範宗は主君小田氏治と不和となり、土浦城で氏治の重臣菅谷左衛門尉政貞に誘殺され、木田余城も落城した。その後、菅谷氏の持ち城となったが、小田氏治が小田城を佐竹義重に攻め落とされると、逃れた氏治が木田余城に入って居城とした。しかし1578年、義重が木田余城に攻め寄せ、激しい攻防戦の末に落城すると、そのまま徹底的に破壊されたと言う。
 木田余城は、現在JR常磐線が主郭跡を貫通し、また車両基地の一部ともなっている。それ以外の部分も一面のレンコン畑となっており、城の遺構は全く残っていない。道路脇に堀跡のような凹んだ地形も見られるが、あまりの改変ぶりに遺構かどうかは明確にできない。昭和20年代前半の航空写真を見ると、環郭式の平城だった様で、横長の長方形の主郭を有していたらしい。今となっては線路脇の解説板と、車両基地入口にある城址碑だけが城の歴史を伝えているだけである。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=36.092702,140.2143&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
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