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山家城(山形県山形市) [古城めぐり(山形)]

IMG_8398.JPG←3段の石垣の一部
 山家城は、最上四十八楯の一で、山形城主最上義光の家臣山家河内守の居城である。山家氏は、山家信彦を祖とする国人領主で、南北朝期には南朝方として活動したが、後に羽州探題(出羽按察使であったとも言われる)として山形に入部した斯波兼頼(最上氏の祖)の家臣となった。戦国末期、山家河内守は最上義光の直属の家臣となり、義光が病没した時に殉死した4家臣の一人として名を連ねていることから、義光にかなり近い位置にいた側近であったものと思われる。

 山家城は、山形城の北東3.7kmの位置にある、標高234m、比高104mの館山(野伏山)に築かれた山城である。ほぼ独立丘陵に近い山の東西に連なる尾根全体に曲輪を配しており、比較的規模の大きな山城である。くの字に曲がった尾根上の3つのピークに、西から順に主郭・二ノ郭・三ノ郭を配し、それぞれが独立性の高い、一城別郭的な縄張りとなっている。主郭は中央部に大きな土壇があり、規模と城の形態から考えて小型の天守台と推測される。主郭の前面には段曲輪が数段置かれ、その更に前面にはかなりの広さの細長い曲輪が広がっている。内部は一面の笹薮だが、3段の段差に仕切られており、先端には一段高く物見郭が築かれ、物見郭上には土塁と櫓台も築かれている。またこの広い曲輪の北側には、竪堀状の城道が斜面を降り、その下は小さな横堀と接続している。南側には帯曲輪群が築かれており、丁度長谷堂城の先端近くの帯曲輪群に似た構造である。主郭背後は切岸だけで尾根と区画されており、掘切の様な地形も見られるが、規模が小さい上に夏場の薮であまり明確ではない。二ノ郭は、頂部に物見台的な小郭を持ち、前面に2~3段の段曲輪、南面に腰曲輪群を伴っている。特筆すべきはこの南腰曲輪群に築かれた石垣で、3段にわたって築かれている。しかし、二ノ郭群の曲輪はいずれも小規模で、石垣も小さな平場を確保するための土留的な役割の様である。二ノ郭群の東に三ノ郭がある。三ノ郭は中心の平場の外周に一段低く腰曲輪が取り巻き、更に前面・後面に腰曲輪を伴っているようだが、薮で形状がわかりにくい。この他、山麓からの登り道の途中にも腰曲輪が見られるが、畑になっているものも多いので、どこからが後世の改変か判断が難しい。いずれにしても石垣や主郭天守台など、近世大名化した最上氏の下で、近世的な城として改修された遺構を留めていると思われる。近年、登道が整備され、解説板・駐車場が完備されているのもありがたい。盛夏でも十分に遺構を確認して回れたのは、嬉しい誤算だった。
主郭の天守台→IMG_8361.JPG
IMG_8332.JPG←竪堀状の城道
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/?ll=38.272453,140.364611&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
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