古館城(山形県山形市) [古城めぐり(山形)]
←外堀跡とされる水路
古館城は、慶長出羽合戦の折、米沢から侵攻してきた直江山城守兼続率いる上杉軍に対する防備の為に最上義光が築いた城と伝えられている。南方約700mの位置に若木楯があり、楯主新関氏の居館を、最上氏が整備拡張したとも伝えられている。
この城の存在は、山形市の発行している史跡案内地図で知ったが、城域は民家となって変貌しており、遺構は極僅かである。以前の訪問記では、地蔵堂が建っている付近が城址と思って来たが、その後『山形県中世城館遺跡調査報告書』で城の推測図を入手したところ、城の中心の位置がズレていたのと堀の推定位置が判明した為、今回再訪して記事を書き改めた。古館城は二重の堀で囲まれた環郭式の平城だったらしく、主郭跡とされる民有地の入口付近に城址碑が建っている。また、内堀は宅地化で完全湮滅しているが、外堀は一部水路となって残っている様である。僅かな遺構ではあるが、地名も古館と残っており、貴重である。石碑を見つけられたのも嬉しい。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=38.266253,140.255992&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
古館城は、慶長出羽合戦の折、米沢から侵攻してきた直江山城守兼続率いる上杉軍に対する防備の為に最上義光が築いた城と伝えられている。南方約700mの位置に若木楯があり、楯主新関氏の居館を、最上氏が整備拡張したとも伝えられている。
この城の存在は、山形市の発行している史跡案内地図で知ったが、城域は民家となって変貌しており、遺構は極僅かである。以前の訪問記では、地蔵堂が建っている付近が城址と思って来たが、その後『山形県中世城館遺跡調査報告書』で城の推測図を入手したところ、城の中心の位置がズレていたのと堀の推定位置が判明した為、今回再訪して記事を書き改めた。古館城は二重の堀で囲まれた環郭式の平城だったらしく、主郭跡とされる民有地の入口付近に城址碑が建っている。また、内堀は宅地化で完全湮滅しているが、外堀は一部水路となって残っている様である。僅かな遺構ではあるが、地名も古館と残っており、貴重である。石碑を見つけられたのも嬉しい。
民有地入口の城址碑→
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=38.266253,140.255992&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
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