本楯館(山形県寒河江市) [古城めぐり(山形)]
←主郭と堀跡
本楯館は、1189年に多田仁綱が築いた居館である。鎌倉幕府創業の功臣大江広元は、源頼朝より出羽国寒河江荘を与えられると、妻の父多田仁綱を目代として遣わし荘内を治めさせた。この時仁綱が築いたのが本楯館である。
本楯館は、現在市街化で遺構はかなり湮滅が進んでいる。はっきりそれとわかるのは、主郭の北西部だけで、明確な郭跡の段差と堀跡が低地となって残っており、そこに「本楯館跡」と「土井ノ内」と刻まれた石碑が2ヶ所建っている。主郭は内堀で囲まれた方形の曲輪で、更に周囲を外堀で囲んだ環郭式の平城だったようである。しかし前述以外の内堀は湮滅し、僅かな地形の窪みとして名残りを残しているに過ぎない。外堀も、小さな水路がその名残りを残しているだけである。昭和30年代初頭の航空写真では、外堀はもう少し堀の姿を留めていた様で、その後の市街化で姿を消している。しかし立派な石碑と「本楯」の地名に、その歴史が刻まれている。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=38.366812,140.292878&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
本楯館は、1189年に多田仁綱が築いた居館である。鎌倉幕府創業の功臣大江広元は、源頼朝より出羽国寒河江荘を与えられると、妻の父多田仁綱を目代として遣わし荘内を治めさせた。この時仁綱が築いたのが本楯館である。
本楯館は、現在市街化で遺構はかなり湮滅が進んでいる。はっきりそれとわかるのは、主郭の北西部だけで、明確な郭跡の段差と堀跡が低地となって残っており、そこに「本楯館跡」と「土井ノ内」と刻まれた石碑が2ヶ所建っている。主郭は内堀で囲まれた方形の曲輪で、更に周囲を外堀で囲んだ環郭式の平城だったようである。しかし前述以外の内堀は湮滅し、僅かな地形の窪みとして名残りを残しているに過ぎない。外堀も、小さな水路がその名残りを残しているだけである。昭和30年代初頭の航空写真では、外堀はもう少し堀の姿を留めていた様で、その後の市街化で姿を消している。しかし立派な石碑と「本楯」の地名に、その歴史が刻まれている。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=38.366812,140.292878&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
タグ:中世平城
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