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犬飼城(栃木県宇都宮市) [古城めぐり(栃木)]

DSC08468.JPG←主郭の横矢櫓台と空堀
(2007年1月、2011年12月訪城)
 犬飼城は、歴史不詳の城である。伝承では、1379年に祇園城主小山義政が築城したのが初めで、戦国後期には下野まで勢力を伸ばした小田原の北条氏政によって攻められ、小山秀綱は父政長を助けて奮戦したが敗北したとされる。その後、1573年に犬飼康吉が城主となったが、宇都宮氏に攻められて滅亡し、廃城になったと言う。しかし、少なくとも小山氏による築城というのは、勢力圏としても宇都宮氏の領域の只中であるので、誤伝であろう。それよりは岡本城との横矢掛かりや選地の類似性から考えれば、宇都宮氏による築城と考えるのが妥当であろう。1km程の距離には宇都宮氏の深津城があることから考えても、その可能性が高いだろう。また戦国末期に、北条氏直が盛んに宇都宮領に侵攻した際、犬飼城を前進基地として使用し、沼尻合戦か小田原の役の際に宇都宮勢によって攻め落とされた、と言う辺りが事実に近いのではなかろうか?あくまで想像ではあるが。城主の犬飼康吉の名も、北条氏康からの偏諱を想像させる。

 犬飼城は、姿川と武子川の合流点に向かって北から突き出した、比高10m程の根古屋台と呼ばれる台地の先端部に築かれている。山林となっているが、遺構は非常によく残っている。主郭はほぼ全周を空堀・低土塁で囲まれ、主郭の西と北に広がるニノ郭に対して、土橋の架った虎口を設け、土橋に対して右翼から横矢の櫓台を張り出させて防御を固めている。ニノ郭の外周も空堀で防御し、特に北西部分では、小型の枡形虎口と土橋で空堀を食い違いにしており、中々技巧的な造りとなっている。またニノ郭の塁線は巧みに屈曲して、厳重な横矢を掛けている。主郭の南側には空堀を挟んで前衛の三ノ郭が築かれ、その前面も土橋を架けた空堀で防御している。この城がよく見られる崖端城と異なるのは、主郭が先端に無く、主郭の前面にも空堀と曲輪が設けられていることで、これは比高が小さいことによる要害性の弱さを補う処置であったのだろう。小規模な城ではあるが、技巧的な構造は北条氏による改修の可能性を感じさせる。最近は宇都宮市などによる見学会が年1~2回の頻度で開催されており、徐々に知名度が上がりつつある貴重な遺構である。これで解説板や石碑でも建てられたら、言うことなしなのだが。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=36.531467,139.834478&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
タグ:中世崖端城
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