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長命楯(宮城県仙台市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_09950.JPG←主郭掘切
 長命楯(長命館)は、歴史不詳の城である。鎌倉幕府の正史『吾妻鏡』に記された奥州藤原氏の陣所「国府中山上物見岡」を当城に当てる説があるが明証はない。また伝承では錦戸太郎国秀(藤原秀衡の庶長子、西木戸太郎国衡のこと)の砦であるともされるが、これは宮城県内各地の城館に伝えられる伝承であり、俄には信じ難い。遺構から見れば戦国期のものと推測されること、また16世紀初頭の留守氏関連文書に「国分勇者長命別当」の名が見えることから、室町時代以降にこの地域を支配した国分氏の持ち城であった可能性が高い。

 長命楯は、七北田川南岸の比高50m程の丘陵上に築かれた城である。現在は長命館公園となって整備されている。大きく5つの曲輪がC字状に配置されていたが、南東の曲輪は既に破壊されて湮滅している。残っているのはそれ以外の部分で、城の主要部はそっくりそのまま残っている。残存する4つの曲輪はそれぞれ腰曲輪を伴い、掘切で分断されている。北から順に、四ノ郭・三ノ郭・主郭・ニノ郭と思われるが、四ノ郭は先端の物見的な曲輪であるが、そこそこの広さを持ち、居住性も併せ持っている。三ノ郭もそこそこの広さがあるが、郭内は西から東に向かって大きく傾斜しており、居住性はあまり無かった様である。主郭は、面白いことに中央がくびれた土橋状となっており、この土橋を挟んで南北2郭で構成されている。主郭北郭は平坦で広く、ここに主殿があったものだろう。北と東に虎口が設けられている。主郭南郭は物見台的な曲輪で、主郭の西側塁線への横矢と、ニノ郭との間を穿つ掘切に対しての横矢と、2つの監視機能を持っている。主郭は防御がもっとも厳重で、前述の土橋側方への横矢掛かりや、クランクする掘切への横矢、その脇への独立小郭の配置など、かなり技巧的構造となっている。二ノ郭は、城中最大面積を有する曲輪で、南端に大きな櫓台を有し、井戸跡らしい窪みもある。これらの主要な曲輪の周囲は、腰曲輪だけでなく、横堀や掘切、その外周の櫓台や帯曲輪が配され、ニノ郭西側には上方から横矢が掛けられた枡形空間も構築されている。非常に良好な遺構で、適度な公園化で遺構が見やすく、お勧めである。但し、もう少し各部の標柱があったほうが城の構造がわかりやすいと思う。
主郭西端の掘切と外周の櫓台→IMG_09977.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=38.315178,140.857966&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
タグ:中世山城
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