根小屋館(栃木県大田原市) [古城めぐり(栃木)]
←北側の土塁
根小屋館は、下野の豪族那須氏の庶流金丸氏の居館と伝えられている。正平年間(1346~70年)に那須資藤の次男資国が金丸の地を与えられて金丸肥前守と称し、根小屋館を築いて居館とした。その後、応永年間(1394~1428年)に大関氏が根小屋館の北方に白旗城を築いて居城を移すと、金丸氏は亀山の地を与えられて要害を築き(金丸氏要害)、居城を移したと言う。
根小屋館は、白旗城の南方650m程の至近にある平地の城館である。高度成長期の航空写真を見ると南北に長い長方形で、南北2郭で構成された複郭の方形居館であったらしい。現在は耕地化で半分以上が破壊され、南北に離れてある民家の裏に土塁の一部が残存している。特に北側の民家裏の土塁はよく残っており、見応えがある。水口館などもそうだが、大田原では平地の城館が水田の只中に一部とはいえ奇跡的に残っているのが、本当にありがたい。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/?ll=36.864515,140.09609&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
根小屋館は、下野の豪族那須氏の庶流金丸氏の居館と伝えられている。正平年間(1346~70年)に那須資藤の次男資国が金丸の地を与えられて金丸肥前守と称し、根小屋館を築いて居館とした。その後、応永年間(1394~1428年)に大関氏が根小屋館の北方に白旗城を築いて居城を移すと、金丸氏は亀山の地を与えられて要害を築き(金丸氏要害)、居城を移したと言う。
根小屋館は、白旗城の南方650m程の至近にある平地の城館である。高度成長期の航空写真を見ると南北に長い長方形で、南北2郭で構成された複郭の方形居館であったらしい。現在は耕地化で半分以上が破壊され、南北に離れてある民家の裏に土塁の一部が残存している。特に北側の民家裏の土塁はよく残っており、見応えがある。水口館などもそうだが、大田原では平地の城館が水田の只中に一部とはいえ奇跡的に残っているのが、本当にありがたい。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/?ll=36.864515,140.09609&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
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