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西方城 その1(栃木県栃木市) [古城めぐり(栃木)]

DSC02792.JPG←ニノ郭の虎口と土橋
(2007年2月、2010年1月訪城)
 西方城は、下野の名族宇都宮氏の庶流西方氏の歴代の居城である。西方氏は、宇都宮氏7代景綱の3男泰宗が武茂庄に入部して武茂氏を称し、武茂泰宗の子景泰が西方郷に分封されて西方氏を称した。西方城は、1293年にこの景泰が築いたと伝えられている。以後、西方氏代々の居城となり、宇都宮領西端の防衛拠点として壬生氏や皆川氏に対する境目の城となって機能した。その後の歴史は明証を欠くが、伝承では1587年、西方綱吉の時に城を落とされたと言う。この時期は小田原北条氏による下野侵攻が激しく、その脅威から宇都宮氏も平城の宇都宮城を家臣に任せ、要害性の高い山城の多気山城に居城を移したほどであったから、西方城も北条氏の後援を受けた皆川氏によって攻め落とされたのだろう。西方城の西隣りの山上には真名子城があり、1523年の河原田合戦以降、皆川氏の持ち城となっているから、皆川広照が真名子城を橋頭堡に攻略を遂げたものだろうか。

 西方城は、西方地区にある標高221.2m、比高140m程の城山に築かれている。東麓の長徳寺から登山道が整備されており、楽に訪城することができる。南北に伸びる尾根に沿って曲輪を連ねた連郭式を基本とし、周囲に腰曲輪を廻らし、東西に派生する尾根に出丸を築いた縄張りとなっている(但し、西尾根の出丸=「西の丸」は、ゴルフ場建設で湮滅している)。西の丸以外は遺構が完存し、一部藪が酷いものの、全体によく整備されていて遺構がよく確認できる。宇都宮氏が築いた山城としては屈指の規模と技巧的縄張りで、主要な曲輪は土塁を築き、掘切で分断され、虎口には土橋を架けた櫓門を設けて備えを厳重にしている。ニノ郭南側の虎口は枡形虎口となっており、下に伸びる登城道には上の櫓台から横矢を掛けている。また北の丸の北側には馬出しを設け、東麓からの登道は竪堀状通路となり、更に途中でクランクして侵入する敵への防御性を高めている。この他にも横堀・竪堀を巧みに組み合わせて防御性を高める工夫が随所に見られる。宇都宮氏の城の中でもかなり出色の遺構であり、多気山城同様に戦国末期に強固な同盟を結んでいた佐竹氏の支援の下に改修を受けた城かもしれない。
 尚、西方城の東の丸の先の小丘には、近世初頭に二条城が築かれており、元々西方城の出丸であった可能性があることを付記しておく。
ニノ郭南側の枡形虎口→DSC02825.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.473099/139.719540/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※西の丸残存部や南の出砦の訪城記はこちら


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コメント 4

tochi

明けましておめでとうございます
今年もよろしくお願いいたします

昔、初日の出に上りました
ここの土地は個人所有の土地で西方町に貸しています
by tochi (2016-01-01 07:35) 

アテンザ23Z

>tochiさん
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
この山は、丁度東に向けて開けているので、初日の出を見るにはもってこいですね。土地を提供している地主の方のご厚意には、頭が下がります。
by アテンザ23Z (2016-01-01 09:00) 

ねじまき鳥

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします
by ねじまき鳥 (2016-01-02 16:38) 

アテンザ23Z

>ねじまき鳥さん
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
今年も時間を作って、城巡り頑張ります!
by アテンザ23Z (2016-01-03 17:38) 

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