小屋館(宮城県気仙沼市) [古城めぐり(宮城)]
←城址の現況
小屋館は、古谷館とも記載され、赤岩城主熊谷氏の支城である。熊谷左京進信直の居城であったと言われ、1590年の豊臣秀吉の奥州仕置で主家葛西氏と共に没落した。
小屋館は、松崎地区にある標高20mの細長い丘陵先端に築かれている。現在は古谷館八幡神社が鎮座しており、八幡神社があるのが主郭とされる。主郭の前には段曲輪の跡と思われる、小さな平場があり、また主郭背後の一段低い宅地(神主さんの家?)はニノ郭跡とされる。神社敷地としてほとんど改変されており、地勢以外に残っている遺構はない。尚、この地の眼下には東日本大震災の被災地が広がっている。震災の時には、多数の氏子が津波に飲まれて命を失ったが、150余名の氏子は八幡神社に駆け上がって一命を取り留めたと、新しくされた由緒書きに記載されている。被災地の現況を目の当たりにすると、未だ震災復興の道程は長いことを思わずにはおれない。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=38.872542,141.582527&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
小屋館は、古谷館とも記載され、赤岩城主熊谷氏の支城である。熊谷左京進信直の居城であったと言われ、1590年の豊臣秀吉の奥州仕置で主家葛西氏と共に没落した。
小屋館は、松崎地区にある標高20mの細長い丘陵先端に築かれている。現在は古谷館八幡神社が鎮座しており、八幡神社があるのが主郭とされる。主郭の前には段曲輪の跡と思われる、小さな平場があり、また主郭背後の一段低い宅地(神主さんの家?)はニノ郭跡とされる。神社敷地としてほとんど改変されており、地勢以外に残っている遺構はない。尚、この地の眼下には東日本大震災の被災地が広がっている。震災の時には、多数の氏子が津波に飲まれて命を失ったが、150余名の氏子は八幡神社に駆け上がって一命を取り留めたと、新しくされた由緒書きに記載されている。被災地の現況を目の当たりにすると、未だ震災復興の道程は長いことを思わずにはおれない。
眼下の被災地(2015年11月現在)→
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=38.872542,141.582527&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
コメント 0