那珂西城(茨城県城里町) [古城めぐり(茨城)]
←主郭の北東隅櫓台と空堀
那珂西城は、この地の豪族那珂氏の居城と言われている。以前は、南北朝時代に常陸南朝方の一翼を担って活躍した那珂通辰の居城であったと言われていたが、最近では大中臣氏の子孫、時久が那珂氏を称してこの地に居城したとする説が有力となっている。その後、佐竹氏の勢力に飲まれ、佐竹氏の支城となって佐竹氏の秋田移封まで存続したと推測されている。
那珂西城は、那珂川西岸の段丘東端に位置しており、主郭は宝幢院の境内となっている。主郭は外周に土塁と空堀が巡らされ、北東と北西は入隅となっていて横矢が掛けられている。また南西隅と北東隅には櫓台が設けられている。主郭の南は中城と呼ばれるニノ郭、その西側には兵庫坪と呼ばれる三ノ郭が広がっているが、耕地化と宅地化で遺構の湮滅が進んでいる。それでも僅かに土塁の跡や、堀跡の畑が垣間見られる。主郭以外の遺構は少ないが、主郭部だけでも十分見応えがある。
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.457861/140.408825/&base=std&ls=std&disp=1&lcd=_ort&vs=c1j0l0u0f0
那珂西城は、この地の豪族那珂氏の居城と言われている。以前は、南北朝時代に常陸南朝方の一翼を担って活躍した那珂通辰の居城であったと言われていたが、最近では大中臣氏の子孫、時久が那珂氏を称してこの地に居城したとする説が有力となっている。その後、佐竹氏の勢力に飲まれ、佐竹氏の支城となって佐竹氏の秋田移封まで存続したと推測されている。
那珂西城は、那珂川西岸の段丘東端に位置しており、主郭は宝幢院の境内となっている。主郭は外周に土塁と空堀が巡らされ、北東と北西は入隅となっていて横矢が掛けられている。また南西隅と北東隅には櫓台が設けられている。主郭の南は中城と呼ばれるニノ郭、その西側には兵庫坪と呼ばれる三ノ郭が広がっているが、耕地化と宅地化で遺構の湮滅が進んでいる。それでも僅かに土塁の跡や、堀跡の畑が垣間見られる。主郭以外の遺構は少ないが、主郭部だけでも十分見応えがある。
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.457861/140.408825/&base=std&ls=std&disp=1&lcd=_ort&vs=c1j0l0u0f0
タグ:中世崖端城
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