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御前山城(茨城県城里町) [古城めぐり(茨城)]

IMG_5224.JPG←主郭背後の堀切
 御前山城は、歴史不詳の城である。御前山の名の由来は、失脚して下野国に配流された弓削道鏡が、孝謙天皇と共にここに住んだことから付いたと言われるが、もとより荒唐無稽な伝説に過ぎない。また一説には、1220年に藤原時房が城を築いたとも言われるが、確実なことは全くわかっていない。

 御前山城は、御前山山頂より東に伸びる標高150m程の尾根上に築かれている。御前山は有名な山であるらしく、市町村合併前には御前山村というのがあったぐらいなので、この地ではランドマーク的な山らしい。ハイキングコースも整備されているので、簡単に登ることができる。御前山城は非常に特異な縄張りの城で、全体の曲輪の削平は甘いが、主郭群とニノ郭の後部に穿たれた2つの堀切と土塁だけが比較的大規模に普請されているのが特徴である。ハイキングコースを登って行くと、主郭北東に張り出した物見的な平場に到達する。現在は四阿が建っているが、雑木で囲まれているためあまり眺望がない。しかし位置的には対岸に位置する野口城を見下ろせる位置に平場が構築されており、物見として機能したことは疑いない。主郭は前面に浅い空堀を穿ち、更にその前面に腰曲輪を伴っている。主郭内部も浅い空堀で区画されていた様だ。主郭後部に大きな土塁があって、背後の堀切に向かって虎口が開いている。主郭の南西側にも小堀切と段曲輪が築かれている。主郭の背後にニノ郭があるが、ほとんど自然地形である。ニノ郭の背後にも土塁と虎口があり、背後に堀切が穿たれている。その先の尾根道にも2本の堀切が確認できる。また南西に鐘撞堂跡とされる高台があり、往時も物見台として機能した可能性がある。御前山城は、堀切や大土塁など明確な城郭遺構が見られる一方で、曲輪の普請は不徹底で、臨時的な城のように思われる。対岸には野口城があり、野口城には落城した歴史が伝わっていることから、野口城攻めの陣城か付城と考えるのが最も自然な様に思われる。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.543519/140.328745/&base=std&ls=std&disp=1&lcd=_ort&vs=c1j0l0u0f0
タグ:中世山城
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