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古徳城(茨城県那珂市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_7677.JPG←一直線に伸びる北斜面の横堀
 古徳城は、大掾氏の庶流古徳氏の居城である。府中城主大掾義幹は室町将軍足利義満より古徳荘を賜り、その次男の民部大輔義純が古徳荘に分封されて1375年に古徳城を築いて古徳氏を称した。その後、室町中期に江戸氏が勢力を拡張して大掾氏が衰退し、この地域にも江戸氏の勢威が及ぶと、古徳氏は江戸氏に従った。1514年、水戸城の江戸氏に兄弟間の内訌が発生すると、古徳義優もその争いの中で江戸氏の大軍に攻められ、古徳城は落城し、古徳氏は滅亡した。

 古徳城は、白鳥飛来地で有名な(とは言っても、私も行って初めて知ったが。)古徳沼の北側にそびえる、比高30m程の丘陵東端部に築かれている。横堀が多用された城で、曲輪は大きく主郭・ニノ郭・三ノ郭・四ノ郭に分かれ、これらがほぼ一直線状に連なった連郭式を基本としている。主郭背後には浅いが幅のある堀切が穿たれ、南側に大きく弧を描いて竪堀となって斜面を降り、下方で再び横堀に変化して、城の西面から南面までの外周を防御している。この堀に沿って腰曲輪群が城内に築かれ、一部は堀底を監視する櫓台となっている。主郭と二ノ郭は堀切で分断され、土橋で連結しており、主郭は北辺以外を土塁で囲んでいる。ニノ郭の虎口にも堀切と土橋が構築されているが、ニノ郭前面は二重土塁と二重横堀で厳重に防御されている。この二重横堀は南面を主郭まで覆っている。三ノ郭と四ノ郭は土塁と切岸だけで区画されている。主郭から四ノ郭までの北側斜面には横堀が貫通しており、四ノ郭等から横堀に繋がる虎口が形成され、土橋が架かっている。特に主郭前面の堀切は、そのまま城内通路となっていたらしく、北側横堀との合流部は虎口を兼ね、土橋が架かり、そのまま横堀外の帯曲輪にまで通じている。基本的に直線型の横堀で構築され、堀の規模も大きくないことから、伝えられる歴史の通り、戦国前期までで廃された城と考えられる。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.494009/140.434670/&base=std&ls=std&disp=1&lcd=gazo1&vs=c1j0l0u0f0
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