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石岡城(茨城県石岡市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_9049.JPG←唯一明瞭な堀跡
 石岡城は、外城とも呼ばれ、府中城を本拠とした大掾氏の初期の居城である。大掾氏の事績は府中城の項に記載する。常陸平氏の嫡流であった多気太郎義幹は、1193年、八田知家の讒言により失脚し、常陸平氏の惣領は義幹の弟馬場資幹に与えられた。惣領職と常陸大掾職を継いだ資幹は、後に職名を姓として大掾氏を称し、1214年に石岡城の地に居館を構え、徐々に大掾氏の本拠として城が整備された。南北朝時代に大掾詮国は新たな居城として常陸国衙を拡張して府中城を築き、本拠を移した。以後石岡城は、府中城の支城となり、石岡某・札掛兵部之助・田島大学などが城主となった。1590年に大掾氏が滅亡すると、石岡城も廃城となった。

 石岡城は、府中城の南東1.4kmの比高20m程の段丘先端部に築かれている。大きく3つの曲輪とその周囲の腰曲輪で構成されていたようだが、ほとんどが畑に変貌し、また腰曲輪や堀跡は民家となっていて、かなり往時の面影は失われている。唯一明瞭に残っているのは、城域の北東端に当たる岡田稲荷の裏に残る堀跡だけである。このわずかな堀跡も伐採された竹などが投げ込まれてしまっている。GoogleMapの航空写真で見ると、一応主郭だけは塁線を追うことができるが、現地の実際は塁線付近もその外の堀跡も酷い薮に埋もれていて、どうしようもない。主郭北東端に張り出した櫓台跡まで、ガサ薮に覆われている。解説板まで建っているにもかかわらず、わずかに残った遺構も全くの未整備で、極めて残念である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.181428/140.276549/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
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