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飯塚城(茨城県小美玉市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_9185.JPG←弧を描く二重土塁・二重横堀
 飯塚城は、常陸平氏の一流飯塚氏の居城である。飯塚氏は、平安時代に常陸大掾職を務めた平国香平将門の伯父)の後裔、五郎左衛門兼忠が玉里地方に分封されて飯塚の地に居館を構え、飯塚氏を称した。飯塚氏は長くこの地に勢力を保ち、大掾氏勢力の一翼を担ったが、1590年、佐竹氏が大掾氏を滅ぼすと飯塚氏も運命を共にし、飯塚城は廃城となった。

 飯塚城は、車道より2~3m高い平場の上にある民家を取り巻くように丘陵が取り巻き、そこに二重の横堀と土塁を築いた特異な形態の城である。遺構へはこの民家を通らなくてはいけないので、民家の方への立入りのお断りは必須で、老夫婦に快く承諾頂ける。民家敷地のすぐ裏(西)には高台に長方形の内郭があり、外周に土塁、また背面に当たる西側と右翼に当たる南側に横堀を穿っており、綺麗に残っている。その周囲の丘陵地が外郭だったと思われ、外周に二重の横堀と土塁が、コの字状に延々と廻らされている。背面側(西側)に2ヶ所の虎口があり、土橋が架けられている。外周の二重横堀は、北辺のものは外側に向かって緩やかな弧を描いており、会津九々布城に似た形状となっている。城の形態を見る限り、丘陵を背後に背負った平場に最初に居館が築かれ、その後の防御力強化のために丘陵部に外堀を巡らしたものと推測される。外郭の北西部だけは藪が切り払われており、よくその遺構を確認することができるが、それ以外は藪が多い。高齢化している現代では、その程度はやむを得ないところであろうか。
 尚、城の名前は現地解説板などの表記では「飯塚館」であるが、遺構の内容から城と表記する方が相応しいことから、『図説 茨城の城郭』の見解に従い「飯塚城」と表記した。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.172075/140.337188/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
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