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根古谷城(千葉県八街市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_9373.JPG←天満宮裏に残る堀跡
 根古谷城は、千葉氏の重臣円城寺氏の居城である。円城寺氏は、原氏・木内氏・鏑木氏と共に「千葉四天王」と称される程、千葉宗家の中で勢力を持った一族で、享徳年間(1452~55年)に、根古谷城はこの円城寺氏によって築かれたと推測されている。しかし1455年、鎌倉公方足利成氏は、亡き父持氏の仇の子である関東管領上杉憲忠を謀殺し、関東を二分する大乱、享徳の乱が勃発した。この余波で下総では名族千葉氏に内訌が生じ、成氏方の康胤は、同族の小弓城主原胤房と共に、上杉方に付いた宗家千葉胤直・胤宣父子を攻め滅ぼし、宗家を乗っ取った。この時、円城寺氏も滅び、その後根古谷城は、粟飯原氏が城主となった様である。その後の歴史は不明であるが、1590年の小田原の役の際に落城したと言う。

 根古谷城は、弥富川南岸に南から突き出した比高10m程の台地上に築かれている。天満宮の境内が主郭に当たり、外周には土塁が築かれ、台地との間の南東側と南西側にそれぞれ二重の堀が穿たれている。主郭は天満宮が建っているところが高台になっていて、往時の櫓台の跡らしい。また北に向かって数段の平場に分かれており、最下段が屋号「要害」の民家となっている。主郭以外は宅地化で改変が進んでいるため、遺構はあまり明瞭ではないが、車道沿いに土塁らしい痕跡を一部に残している。城の中心から南西に500m程離れた位置に西御門神社があるが、ここもその名の通り西の木戸口を防衛する出砦であったと思われる。あまり期待していなかったが、主郭部は思ったよりも遺構が良好に残っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.637767/140.259340/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
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