栄福寺館(千葉県千葉市) [古城めぐり(千葉)]
←境内周囲の土塁
栄福寺館は、平安時代後期に千葉介常重の家臣板尾五郎治の居館であったとされている。寺伝では、1130年に嫡子常長に付き添われてここより西にあった三角山に仮住居を設けて安住地を探し、翌31年にこの地に居城を移し、千葉氏の守護神妙見大菩薩を奉祀安置したと言う。栄福寺館のすぐ西方300mの位置に城山城があるが、両者の関係は明確ではない。
栄福寺館は、現在栄福寺の境内になっている。城館跡であることを知らなかったが、城山城の帰りに何か城と関連する歴史があるかもと立ち寄ったところ、千葉氏との関連する歴史が残る寺で、境内の周りに土塁遺構の様なものも見られ、帰ってから調べたらやっぱり館跡だったというわけである。寺の石碑に寺伝が記載されており、その中に前述の歴史が記載されていた。周囲には土塁だけで堀跡がなく、城館の遺構であるかどうかは確実ではないが、ここでは一応遺構ということにしておきたい。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.594786/140.170999/&base=std&ls=std&disp=1&lcd=_ort&vs=c1j0l0u0f0
栄福寺館は、平安時代後期に千葉介常重の家臣板尾五郎治の居館であったとされている。寺伝では、1130年に嫡子常長に付き添われてここより西にあった三角山に仮住居を設けて安住地を探し、翌31年にこの地に居城を移し、千葉氏の守護神妙見大菩薩を奉祀安置したと言う。栄福寺館のすぐ西方300mの位置に城山城があるが、両者の関係は明確ではない。
栄福寺館は、現在栄福寺の境内になっている。城館跡であることを知らなかったが、城山城の帰りに何か城と関連する歴史があるかもと立ち寄ったところ、千葉氏との関連する歴史が残る寺で、境内の周りに土塁遺構の様なものも見られ、帰ってから調べたらやっぱり館跡だったというわけである。寺の石碑に寺伝が記載されており、その中に前述の歴史が記載されていた。周囲には土塁だけで堀跡がなく、城館の遺構であるかどうかは確実ではないが、ここでは一応遺構ということにしておきたい。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.594786/140.170999/&base=std&ls=std&disp=1&lcd=_ort&vs=c1j0l0u0f0
2016-08-13 02:00
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コメント(2)
城山城の近く、高速道路脇に、城の腰城跡と呼ばれる遺構があり、大空堀跡が残っているのですが、ご覧になりましたか?
by とおりすがりの城マニア (2016-08-15 06:11)
>とおりすがりの城マニアさん
城ノ腰城は行こうかどうしようか迷っていたのですが、空堀の規模が大きいらしいので、今冬に行こうかと思っています。東金道路で破壊されたのが残念ですが。山形の睦合楯も同様に主郭が高速建設で破壊されましたが、空堀が残っていました。
by アテンザ23Z (2016-08-15 21:50)