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徳宿城(茨城県鉾田市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_9918.JPG←主郭の大手虎口と土橋
 徳宿城は、大掾氏の庶流で鹿島氏の一族、徳宿氏の居城である。平安末期に、鹿島氏の祖、鹿島成幹の子親幹がこの地に分封されて徳宿氏を称し、徳宿城を築いた。尚、徳宿氏2代秀幹の長子俊幹は、安房・鉾田の地域に分封されて三階城を本拠とする安房(あんぼう)氏となり、次男朝秀は烟田村他3ヶ村に分封されて烟田城を本拠とする烟田氏となった。4男幹直が、徳宿氏を継いだ。その後の徳宿氏の事績は』不明であるが、1486年、9代道幹の時、水戸城主江戸通雅の攻撃を受け、徳宿氏は徹底抗戦したが寡勢のため敗れ、徳宿城は落城して徳宿氏も滅亡した。

 徳宿城は、比高20m程の段丘先端に築かれた城で、徳宿本郷の集落の南端に位置している。その位置関係から考えて、徳宿本郷は元々徳宿城の根古屋(家臣団居住地)か城下町であったことは疑いがない。城自体は大きく3つの曲輪で構成され、南端にひしゃげた形の主郭を置き、その北側に幅広の堀切で分断され、土橋で連結された横長のニノ郭を置き、更に堀切・土橋を介して三ノ郭を置いた連郭式の構造となっている。主郭は全周を土塁で囲んでおり、特に大手の土塁は高土塁で規模が大きい。塁線も歪んでいて、堀底に横矢が掛けられている。二ノ郭は東半分にだけ土塁が築かれ、北東端に隅櫓台が築かれている。三ノ郭はどこまで広がっていたか明瞭ではないが、北側に土塁があるので、そこまでが城域だったものと思われる。東側は畑になっていて改変されているので、城域が不明瞭である。この他、主郭・二ノ郭周囲にはやや幅広の腰曲輪が巡らされ、堀底と一体となって機能したらしい。徳宿城は、堀切はあるが基本的に素朴な縄張りで、戦国初期に落城したままの姿を留めている様だ。尚、主郭の稲荷神社付近以外はほとんどが未整備の薮で埋もれており、夏場の遺構探索は無理であろう。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.184269/140.520158/&base=std&ls=std&disp=1&lcd=_ort&vs=c1j0l0u0f0
タグ:中世崖端城
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