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安坂城(長野県筑北村) [古城めぐり(長野)]

IMG_5015.JPG←竪堀沿いの登り石垣
 安坂城は、麻績城の支城とされる城である。明確な歴史は必ずしも明確ではないが、麻績長親の次男安坂長国が築いて、以後安坂氏歴代の居城となったが、安坂筑後守の時に武田信玄に攻められて落城。筑後守は、信濃守護小笠原長時に従って中塔城に籠もり、1555年に長時と共に越後の上杉謙信を頼って落ち延びたと言われる。その後、武田氏の部将安藤加賀守が城主となったが、1582年に武田氏が織田信長に滅ぼされ、その信長もわずか3ヶ月後に本能寺で横死すると、信濃遺領を巡って小笠原貞慶が奪還に動き、1584年に安坂城は貞慶によって攻め落とされた様である。その後ははっきりしないが、筑北において上杉景勝と小笠原貞慶の争奪戦が続いていることから、使用され続けたものと推測されている。

 安坂城は、標高851m、比高200m程の山上に築かれている。東麓の安坂神社裏から登山道が伸びており、迷うことなく登ることができる。但し、長野に多いキノコ山なので、無用なトラブルを避けるため秋の訪城は避けた方が良い。尾根筋を登っていくと、途中に鳥居の先に大手の曲輪がある。桝形状になっているが、らんまるさんが指摘している通り古墳を切り崩した跡らしく、石室をそのまま枡形に改変している様である。その上に小さな段曲輪と細尾根上の5郭がある。更に登っていくと、岩盤を削って堀切を穿つと共に、岩盤を障壁にした遺構が現れる。ここからが主城部で、山頂の主郭から北東に二ノ郭・三ノ郭を連ね、南東斜面に腰曲輪(4郭)を築いた連郭式の縄張りとなっている。この主城部には石垣が多用されており、特に南面の切岸に集中して築かれている。二ノ郭には南東に枡形虎口が築かれ、虎口付近も石垣で固められている。二ノ郭から主郭に入る枡形虎口も石列で区画されている。ここのちょうど門に当たる位置に建っている石の上面には溝が切ってあり、おそらく「かんぬき」の様なものがあったらしく、極めて珍しい遺構である。主郭背後には低土塁が築かれ、その裏には大きな堀切が穿たれている。ここからは竪堀が長く落ちているが、南東斜面では竪堀沿いに登り石垣まで残っている。これらの石垣群は、おそらく武田氏支配時代の構築であろう。また背後の尾根には更に4つの堀切がほぼ連続して穿たれ、主郭背後のものと合わせて五重堀切となっているが、後の4つは規模が小さい。この他、北西尾根にも幾つかの小郭群と堀切が構築されている。安坂城は、重厚な石垣が多数あり、虎口も総石垣となっていたらしく、小規模な城であるが長野の山城の素晴らしさを堪能できる。本城の麻績古城より、断然オススメである。
主郭門石の溝切り遺構→IMG_5064.JPG
IMG_5030.JPG←主郭・二ノ郭周囲の石垣
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.444813/138.061903/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
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