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武熊城(茨城県水戸市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_6243.JPG←武熊城の城址碑
 武熊城は、水戸城主江戸氏の支城である。最初は、延文年間(1356~61年)の頃に、大掾氏の一族石河十郎望幹が築いたと言われている。その後、江戸氏が勢力を拡大して水戸城を攻略して居城を移すと、その属城となった。1590年の小田原の役の後、豊臣秀吉の権力を背景にして常陸一国の統一を推し進めた佐竹義宣によって、同年12月に水戸城が攻略されて江戸氏が滅ぼされると、翌91年3月に義宣は常陸太田城から水戸城に居城を移し、重臣の東義久(佐竹東家)が武熊城に入った。1602年に佐竹義宣が出羽秋田に移封となると、武熊城は水戸徳川家に受け継がれた。1651年に柳堤を築造して千波湖を埋立て、町づくりを行った際に、採土により城跡は消滅した。

 武熊城は、水戸城下の南東、桜川の南岸に築かれている。前述の通り、早くに採土で遺構は消滅しており、現在は水戸市竹隈市民センターの南東角に城址の石碑が建っているだけである。尚、石碑の前がゴミ捨て場になっており、ゴミネットが邪魔で良い写真が取れないのが難である。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.366840/140.490396/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
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